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信州 戸隠神社

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戸隠山と鏡池

長野県長野市の北西部に戸隠山というごつい山がある。この周辺にはたいそう古くから存在した五つの神社がある。その総称が戸隠神社。JR東日本のCMで戸隠古道を歩く吉永小百合さんが放映され、多くの観光客が押し寄せた。

 戸隠神社の創建は紀元前とも伝わるが詳しくはわからない。

 岩戸伝説では、アマテラスは弟のスサノオの暴挙に怒り天の岩屋へ閉じこもる。辺りは暗闇になり、神々はアマテラスに外に出てもらうために岩屋の前で饗宴を始める。何事かと岩戸を少し開けたところ、怪力の手力雄が一気に岩戸を開き、再び閉まらぬように
岩戸を下界へ投げた。それが戸隠山になったという。
 アマテラスは岩屋の外へ出て、世に光が戻る。

戸隠五社と御祭神
 奥社 岩戸を投げた怪力の天手力雄命
 九頭龍社 古くから地主神である九頭龍大神
 中社 岩屋の前の饗宴(岩戸神楽)を考えた天八意思兼命
 火之御子社 岩屋の前で舞を踊った天鈿女命が主祭神、他三神
 宝光社 天八意思兼命の御子神である天表春命
 地主神九頭龍大伸以外は岩戸伝説の関係者だ。

 地主神の九頭龍大神については、平安初期に学問という名の行者が法華経の功徳により、九の頭と龍の尾を持つ鬼を岩戸に閉じ込めたという伝説が鎌倉中期に記された仏教書に伝わる。

 天岩戸伝説については、室町時代の修行僧有通の「戸隠山顕光寺流記」に御祭神と縁起について記されている。

 戦国時代には上杉氏と武田氏の川中島の戦いに巻き込まれ荒廃するが、朝鮮出兵から無事帰還した上杉景勝が、出兵前の戸隠への安全祈願に感謝して再興を支援した。

 江戸時代まで戸隠神社は戸隠山顕光寺というお寺であった。
奥社へ向かう途中の随神門は当時は仁王門だった。江戸幕府の後ろ盾もあり、当時の奥院、中院、宝光院には宿坊が立ち並び、参拝者や住民が集まり賑わったという。

 明治の神仏分離令により戸隠神社となる。廃仏毀釈により仏教関係は姿を消すが、近隣のお寺に祀られているものもあるという。

 平安時代には既に山岳信仰の霊山戸隠山として広く知られており、当時より多くの修験者が集まっていたようだ。彼らの携行食糧そばが現在の有名な戸隠そばの原型となったという説もある。

 そういえば鬼女紅葉の伝説もあったな。古くから佇む山奥の社にはまだまだたくさんの伝説がある。
【REG's Diary   たぶれ落窪草紙  4月30日(火)】

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