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東京ノスタルジー 明治神宮

明治神宮 南参道へ


伊勢や京都だけではなく東京にも神宮がある。原宿駅のお隣に広大な自然と共に。

 日本は史上いくつかの大きなターニングポイントを経験しているが、その中でも明治維新は武士の世の中から近代国家への変身を遂げた大変革期であった。よくこんな大改革を短期間で断行したと感心してしまう。おそらくは多くの人の反感を買ったに違いない。
 後の大正デモクラシーを生んだり、富国強兵は軍国主義を強大にしてしまったのかもしれない。しかし、オオナタを振るう時はちまちまやっても効果は見込めない、推進力や勢いも大切なのだ。

 明治の夜明けの象徴として近代日本を牽引したリーダーが明治天皇だ。
 彼は第121代孝明天皇の皇子として京都に産まれる。上に姉と兄がいたが、既に2人とも逝去されていた。この時期になってもまだまだ幼児の死亡率は高かった。
 この後朝廷と幕府は尊皇攘夷、公武合体など激動の幕末期に入っていく。
 そして慶応2年12月25日、1867年1月30日、孝明天皇は満35歳で崩御される。死因は天然痘だが、急なことなので色々と噂された。

 慶応3年1月9日、1867年2月13日にまだ元服前の14歳で第122代天皇を継承する。すぐには明治に改元されていない。徳川慶喜は大政奉還し、江戸城を無血開城し、新政府が動き始め、旧幕府は倒れていく。明治天皇は改めて即位の礼を行い、慶応4年9月8日、1868年10月23日に慶応から明治に改元された。

 やはり江戸時代を通じて江戸は巨大化して日本の中心となっており、幕府亡き後、関東では天皇の江戸への行幸を望む声が高まる。新政府も国の分断を案じて江戸を東京と改称し明治天皇は東京へ移ることとなる。皇居が京都から東京へ変わるのだ。明治天皇は22日かけて京都御所から江戸城へ入った。千年を超える京都での天道の暮らしは終焉を迎える。

 そして1912年、明治45年に怒涛の変革期を送った明治天皇は満59歳で崩御される。その8年後に明治天皇、昭憲皇太后をお祀りした明治神宮が創建された。
 明治天皇は本人の希望により京都の伏見城址に眠っている。

 国や地方の統治体制、経済、産業、教育、文化、宗教、軍事などの各方面で、鎖国を脱却して生まれ変わった日本は列強と相対していくことになる。

本殿へ

【REG's Diary    たぶれ落窪草紙   7月22日(月)】

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