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ギャンブルの持つ高揚感も魅力的だけど・・・。

 若い頃はギャンブルもかじってみた。

 都会で一人暮らしを始めた頃はお金がなかった。歌舞伎町のディスコで迫力あるサウンドを聴くにはお金が必要だ。当時のディスコは3千円ほどでフリードリンク、フリーフードで一晩過ごせた。当然ドリンクは色のついた水みたいなもので、フードとは名ばかりであるのだが。ホーンセクションも入った外人の生バンドは圧巻で、アパートのラジカセで聴く音楽とは別物だった。唯一幸せな時間だった。しかし、生バンドは音源に代わられてしまう。

 私は生活費を浮かせるためにパチンコに行った。パチンコをするには大前提が二つあった。長時間する暇はない事、絶対負けられない事。
 そこで私は昼間パチンコ店に立ち寄り、店内を一周して、よく出ているパチンコ台の番号を覚えて打たずに店を出る。夜に再び足を運び、昼間出ていた台で打つ。ある程度金額を入れると必ず出た。ある一定まで玉が出るとすぐ止める。多くは望まない。換金率というものがあり、玉は現金に換えると目減りするので、すべて生活用品と食べ物に換えた。
 半年くらいだったかな。パチンコは疲れるので何十年もしていない。

 競馬好きな友人と馬券を買ったこともある。競馬のレース観戦も馬券を買った時の盛り上がりは何とも言えないくらい楽しい。ネットで馬券を自宅購入できるまではセットしたが、結局一回も買わなかった。

 ラスベガスではスロットマシンをやった。ホテルの一階はカジノで飲み物も完全無料だった。マシンは山ほど並んでいるが、殆どはお金を吸い込むだけという噂だった。マシンにはコインではなく現金硬貨を投入していた。
 私はワゴンで煙草を売り歩いているお姉さんにチップを払い、どのマシンが出るか聞いてみた。教えてもらったマシンで二万円ほど勝った。

 結論、私はギャンブラーにはなれない。向かない。素質が無い。
 貧乏性の小心者は一発勝負の切った張ったに夢を描けない。
 
 ギャンブルにはまり、痛い目を見ている人を何人も見てきた。確かにあの高揚感は魅力的だが、長くやると必ず負けるという仕組みも知っている。負けだすと取り返そうとして熱くなるのも理解できる。

 すべてのことに言えるのだが、自分を見失うほど、のめり込んでも良いことはあまりない。短時間の間に集注していい仕事をしたいと思う時だけだ。
 小さくても冷静な自分をどっかに置いておきたい。

【REG's Diary   たぶれ落窪草紙   3月25日(火)】
 
 

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