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パスカルの「考える」を考える

 人間は考える葦であると残したのは、日本の江戸時代初期にフランスで生を受けたブレーズ・パスカルだ。数学者として有名だが、哲学、物理、神学など幅広い分野において幼いころから才能を発揮した天才である。思想家、発明家、実業家でもあったが40歳になることなく早世した。

 パスカルの遺書である「パンセ」には次のように述べている。
『人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ねることと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
 だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。』

パスカル、『パンセ』、前田陽一、由木康訳、中公文庫、225頁。

 人間は極めて小さくて弱い存在だが、考えることで宇宙を超えるというパスカルの考えには何か背中を押される想いだ。

 『下手な考え休むに似たり』は囲碁・将棋などでよく使われる。考えることは重要なのだが、知識・経験・情報があってこそいろいろな選択肢が生まれる。それらが無いうちはあれこれ考えあぐねたところで、効果的な策など生まれてくるはずがない。そんな時は度胸を決めて勢いで行くしかない。
 痛い目に合うかもしれないが失敗に対して考えることは次の攻防に活かせる。また時間との勝負の場合、限られた時間内に即決しないと遅れることがマイナスになることもある。考えると言っても一筋縄ではいかない。

 ただ何も考えないで時を過ごしていくより、あれこれ冷静に考えながら暮らしていく方が痛い目にある確率は減りそうだ。

 考えることは尊いが、その考えが的確なものであるよう、知識・経験・情報の精度を上げておく必要があるな。

【REG's Diary   たぶれ落窪草紙   7月10日火曜】

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