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初の女性天皇は推古天皇、史上唯一天皇暗殺事件の後即位する

 重祚した天皇が女帝である事を最近書きましたが、そもそも女性の天皇は10代しか存在しません。しかも、このうち二人が二度務めているので、実際には女性の天皇は8人しかいないことになります。
 蛇足ですが、126代続いてきた日本の天皇は124人ですが、実際には129人います。南北朝時代に北と南にお二人天皇がいた時期があるからです。明治から北朝の5人の天皇は126代には数えられておりません。

 歴史上初めての女性天皇は推古天皇です。
第33代推古天皇(女帝) 在位593年-628年 即位前は額田部皇子
 父親は欽明天皇、母親は蘇我堅塩媛(蘇我稲目の娘)夫は敏達天皇

 夫の敏達天皇崩御の後に即位した用明天皇(聖徳太子の父)も短命で、次期天皇候補の穴穂部皇子は蘇我馬子により殺害されます。過去に穴穂部皇子は敏達天皇崩御の際に強引に皇后(後の推古天皇)を自分のものにしようとして失敗した経緯があります。馬子は、仏教か神道かで対立していた物部守屋を聖徳太子らと共に滅ぼします。そして次に即位した崇峻天皇も馬子によって殺されます。歴史上唯一の天皇暗殺事件です。

 この暗殺事件の後、額田部皇子は臣下により即位を勧められ、何度も断り切れず39歳で歴史上初めての女性天皇になります。
補佐役には聖徳太子が付き、国政は彼に委ねます。ここまでの経緯を見るとどう考えても蘇我氏の力が大きく働いていると思われます。

 この推古天皇の時代は、推古天皇、聖徳太子、蘇我馬子の体制の下で仏教の振興、遣隋使の派遣、冠位十二階、十七条憲法などの日本史上とても重要な政策が行われます。

 戦国時代さながらの激しい権力争いの中で初の女性天皇が誕生するのです。この後、皇極天皇の時代にそこまで権勢を振るった蘇我氏が滅ぼされることになるのですね。

 一つ気になることがあるのですよ。それは第14代仲哀天皇(ヤマトタケルの子)の皇后である神功皇后のこと。日本書紀によると八幡様として有名な応神天皇の母親であり、応神がお腹にいるときに九州で熊襲征伐を行い、玄界灘を渡り新羅をやっつけて、応神天皇が即位するまで政務を70年間近くしたというお方です。明治時代まで初代女帝という説もあり、一円札に肖像画まで載っているに、大正時代に正式に歴代天皇ではないとされました。
 今では実在の人物ではないともいわれています。不思議な話です。

 【REG’s Diary   たぶれ落窪草紙   4月1日(月)】




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