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神武、崇神、応神、名前に神が付く天皇は三人だけ 10代崇神天皇

  第10代の崇神天皇の名前にも神がつく。重大な役割を果たしたのだろうか。この天皇の治世時期は3世紀後半から4世紀前半というのが大方の見解だ。この天皇には大きな謎がある。日本書紀ではハツクニシラススメラミコトと称されるが、これは初めて国を治めた天皇を意味する。初代天皇は神武だろうっ!まさしくその通りなのだが、神武天皇もハツクニシラススメラミコトと称しているのだ。ハツクニシラスが二人いる!?

 せっかくの歴史書なのにどうして混乱するような書き方をする?それともわざと混乱させたいのか。こういうのにはみんな飛びつくぞ。案の定、崇神が真の初代天皇説、一人の人生を二つに分けて天皇の系譜を長く見せたかった説、2代から8代のあまり記述のない天皇は実在してない説などいろいろ出てくるではないか。最近では神武が小国ヤマト国を建国し、小国群を統一しヤマト王権国家にしたのが崇神という説をよく見るが?

 崇神天皇は奈良県桜井市の大神神社で名高い三輪山周辺に居たとされる。纏向遺跡があるあたりだ。この天皇の時代には疫病が流行り人口が半減したという。これを鎮めるため宮中で祀っていた天照と大物主を宮中から移動させる。これが伊勢神宮の始まりとなるのだが、伊勢神宮の回で書いているので興味のある方はぜひ読んでくださいな。
 結局この疫病は大物主の祟りとされるのだが、大物主の子孫(子?)、大田田根子が大物主を祀り疫病を鎮めたとされる。詳細はまた別記で。

 崇神天皇は北陸、西道、東海、丹波に皇族の将軍を派遣してヤマト王権を確立したといわれている。いわゆる四道将軍と呼ばれる方々だ。

 記紀の真の目的は日本の起原というよりも天皇家の正統性を伝えることが重要だったようだ。神武天皇が天照大御神の子孫であり、東征してヤマトに行く、その系譜の崇神天皇がヤマト王権国家を統一していくという話だ。
 確かに2代から9代の天皇の逸話はほとんどない。崇神天皇からは様々な逸話が紹介されている。系譜はしっかりと残されている。
 こうなってくると卑弥呼っていつの時代の誰だったのだろう?


【REG's Diary   たぶれ落窪草紙   6月12日(水)】


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