見出し画像

神功皇后 史上初の紙幣の顔なのだが・・・

 神宮皇后は第14代仲哀天皇の皇后。仲哀天皇は日本武尊(ヤマトタケル)の子なのだが、神功皇后含めて実在しない説もある謎のお方たちだ。
 仲哀天皇の正妃、神功皇后は1881年発行の改造紙幣1円、5円、10円券の日本初のお札の顔として有名、もちろん女性である。

 明治維新より政府は太政官札、明治通宝などの紙幣を発行したが、これらは不換紙幣であり、金や銀との交換が保証されていない、政府の信用により発行された貨幣であった。世界は金本位制が主流で日本も金と交換可能な兌換紙幣の発行を迫られていた。政府はこれを民間に委ねて銀行が兌換紙幣を発行するがうまくはいかなかった。このお札には日本神話の絵が描かれていた。お札の乱発によるインフレやお札の損傷、偽造などから改造紙幣を発行する。これに肖像画が初めて採用されたがそのモデルが神功皇后なのだ。

 神功皇后の女傑ぶりが伝わるエピソードを紹介しよう。
 父は9代開花天皇の玄孫(やしゃご、孫の孫)、母は朝鮮からの渡来系
 神功は皇后になり、仲哀天皇と共に九州熊襲征伐へ向かう
 途中で仲哀天皇は急死するが、皇后は後を継いで熊襲征伐を成し遂げる
 そのまま朝鮮半島に渡り、新羅、百済、高句麗を征服する(三韓征伐)
 3月に熊襲征伐、同年10月に三韓征伐、同年12月に応神天皇を出産
 妊娠中に熊襲や三韓を征伐したことになる
 仲哀天皇は2月に崩御しているが、応神は仲哀の子であることを強調
 翌年政敵を排除し、応神が即位するまで69年間摂政として政務を担当
 享年100歳で崩御
 明治時代まで初の女性天皇とされたが、大正期に歴代天皇から外される

 確かに一時倭国は新羅に朝貢を約束させたようだが、百済や高句麗に戦闘の記録はないし、時期も確証はない。神功皇后の物語はもう少し後に完成されたのではという説や斉明天皇や持統天皇がモデルにされたとの説もあり、江戸時代の徳川光圀の大日本史では天皇として扱われていない。また日本書紀では神功皇后が卑弥呼とほのめかしている内容もある。明治から戦前には学校教育でも実在の人物として教えられてきたし、お札の肖像にもなっているのだが、戦後は存在を否定する声もある謎の人物となっている。

 そろそろ新札が発行になりますね。

【REG's Diary   たぶれ落窪草紙   6月16日(日)】
 
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?