見出し画像

スカさんの文章を読んでてきとうに感想を書く(PIP編)

https://note.mu/scarlet222/n/n9ed4d93a3ac7

「5. 『「ゼロ年代のアイドル」の思想』の実践――PIPの功罪」について

まっとうなPIPの振り返りだと思った。あのときあんなおかしな謝罪会見や身内の擁護に託けたツイッター論壇批判ではなく、踏み込んだドライな批評を誰かがするべきだったという気持ちが少し報われたと思う。でも逆にいえば、長い年月が経って当事者からも離れた人間でなければ、冷静な判断がつかないということでもあるのかもしれなかった。
スカさんの文中ではPIPの思想についての論文を出すと明言していたと書いてあるけれどもそれは多分違っていて、「アイドル運営の失敗を踏まえた学術的考察に関する論文」の構想といっていたので根本的な思想ではなくそこにはあまり触れずフィールドワークてきな文章が出てくるんじゃないかなと思っていた。(結果なにも出てこなかった)

PIPの良かった点

もともとPIPのオタクだった人間として、特に元PIPメンバーに、PIPの良かったところをちゃんと覚えていてほしいなという気持ちがずっとある。あるメンバーがイベントで某経済学者からPIPのいいところがどこかと尋ねられたとき、少し考えてから「接触はいいと思います」と答えたのを見てすごく悲しい気持ちになったのをずっと覚えている。
PIPは設立時点のコンセプト、志はとても意欲的なものだったし(それはのちにイベントで濱野本人から、オーディション応募者に年長者が多かったことから設定された後出しのコンセプトであるという身も蓋もない暴露がされてしまったのだがそれでも)当時の問題意識(給与問題やセカンドキャリア問題)は今の地下アイドルシーンでもまだまったく解消されていない。

濱野とコンテンツ

実際のところ濱野にコンテンツへの興味があったかというとたぶん98%くらいはなかったようにみえる。選抜メンバー(ここも、乃木坂的選抜メンバー発表というギミック=アーキテクチャへの執心が中心にあったようだし、のちにこれは濱野自らある種の「分断統治」だったと語っている。このようにアーキテクチャ的な仕掛けは何重にもなされていた。)に与えられた衣装の貧相さ、衣装について語ったことといえば有名なデザイナーに発注したからかなりのコストがかかったという程度のことだった。そしてこの選抜衣装は膨大な卒業者が出た2年間ずっと1種類のみで着まわして使われ続けた。
楽曲については外部発注と身内からの無償提供が半々といったところ。初期の頃には作曲家を交えての楽曲制作にまつわるトークイベントをするなどはあったが全体を通して芯となる楽曲コンセプトといったものが存在するようには見えなかった。
ただし作詞についてのみ濱野は異常な拘りを見せた。全曲を自らが作詞していた。これは秋元康の影響も少なからずあるだろうし、その後メンバーにも作詞させるWACK的想定もあったようだった。(実際にはメンバーが作詞した楽曲はほとんどない。ある曲の歌詞の一部を替歌したり、派生グループの作詞をした程度だった。)
またパフォーマンス(ダンス、歌唱力)へのこだわりも薄かった。濱野P時代後期はほぼレッスンが行われない状況であったり、定期公演はライブハウスより数段音響的に貧弱なWEB放送用のスタジオで行われた。(箱の選択は主に金銭的な理由のため)
スカさんの文章に出ていた宇野がこの頃よく「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」という諺を用いていたが(SNSなどの新たなWEB論壇環境が整いつつあるなか、議論の内容も成熟させていく必要がある、という比喩として用いていた)これを見ると宇野にもコンテンツ的な問題意識はあったと思える。(宇野のもともとの出自が編集者であることも、運営と制作両方の目線をもつ理由かもしれない)唯一濱野がコンテンツ的な拘りを見せた作詞の結果があの黒歴史デモ楽曲だったことを考えると、結局最後まで新しいプラットホームに載せるべき実践=プラクティスを見つけることはできなかったようだった。

東の立ち位置、人間への関心

東がいうには「アイドルにハマり出してからの濱野くんはどこかおかしかった」とのことだった。人間を発見した濱野がどう変わったのか、その変化が良きものであったのか悪しきものであったのかはよくわからない。ただスカさんは敢えて触れていないのかもしれないが、濱野はその後さらに重要な人間に直面することになる。長女が誕生するのである。
濱野の中でアーキテクチャ、コンテンツ、人間への関心がどう変わったのかは知りえないが、ともかくPIPというグループ自体は不幸な結末を迎えてしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?