6/27 雨女の意味がわからない

https://twitter.com/taketomosumi/status/1144241489544802304?s=21

わからない。どうしてこう都合のいいようにだけ考えられるのかがわからない。いや、吉田豪はすごいというオチありきのネタなのか?うーんでもそうだとしてもやっぱり6割くらいはほんとにそうおもってそうできつい。
ずんたんがずんたんでなかったら、そこにはそうじゃなかった世界が広がりそうでなかったが故の不幸とそうでなかったが故の幸福がそうだったときとだいたい同じくらいあるって感じがするし、そうであればそれはよかったとかわるかったとかいうレベルの話じゃなくただ「そうだった」というだけでしかないという気持ちが強い。
じゃあ逆に、「ずんたんは偉大だ」はわかる。そういう信仰として。「ずんたんのおかげでサクライケンタが死ななくてよかった」もわかる。でも「ずんたんのおかげでサクライケンタがブクガとクマリを作ってよかったし、それはずんたんママが吉田豪が好きだったからなので吉田豪は偉大だ」ってなると、そうそう、風が吹くと桶屋がジャックポットですよねまじでって思うし、逆に吉田豪がいなければサクライケンタの億倍偉大な作家が生まれてたかもじゃない?って思ってしまう。スコープを都合のいい範囲に合わせ過ぎではって思うよ。

雨女とかも結局そうで、今日雨が降ったのはあの子が雨女だからだとかどれだけ自分中心に世界が回ってるのって感じてしまう。そのとき雨が降っている地域に人間が何百万人いるのかって話だし、何百万人の晴れ女性対何百万人の雨女性がぶつかりあった結果、相殺して相殺して相殺して相殺して……んで結局このくらいの雨が降った、っていうならまだわかるけどそれならその地域は結構ずっと雨じゃないとおかしくない?っておもう。
他人の視野のサイズに自分の視野のサイズをアジャストするの出来なくはない、出来なくはないよだって大人だから、でもしんどい。しんどいしめんどいっておもっちゃうよねたまに。

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