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これまでも、そして、これからも、どこまでも……! この夢の道をゆく

出逢ってしまったが最後、絶対に降りられない神様の道、夢の道。それを降りることは死をも意味する。わたくしの場合。

大変お恥ずかしながら、未だ何をも成し遂げていない、現時点でのわたくしがこのような記事を書くこと自体が許されるのかどうかわからないが、でも、これから書くことはわたくし自身の素直な、偽りない思いである。

ここのところ、公私ともにいろいろなことが続いて、それらが今の自分には相当プレッシャーだったのか、先週の金曜日にすっかり腰を痛めてしまった。(実際は昨年からずっとおかしかったのだけれどね) 未だその痛みは続き、身体を前に倒すような姿勢を取る度に「いててて……」とつぶやいたりしているのだけれど、でも、今週に入ってようやく底に足がついた……というか、少し心が落ち着いたので、この記事を書いている。

「立ち直るきっかけ」はなんてことはない、他愛もない会話だった。わたくしがこれまで歩んできた道について、ほんの少し、ある御方にお話しさせていただく機会があって、で、そのときを境に、自分自身の中でまたむくむくと力が湧いてきたのである。「そう、わたしには大切な夢がある!! こんなことぐらいでへこたれていてどうする?」、そう思ったら、「とりあえず今後3年ぐらいの間で、最も大きな夢」が叶ったときの自分を想像するに至り、そのときの自分は空を見上げて、「ああ、そういえばあんなこともあったな……」と懐かしく、今の自分を振り返ることになるのではないか? そんなふうに考え始めたら、少し状況が明るく見えるようになってきたのだ。

うまく言えないのだけれど、とにかく――! わたくしの中では、自分自身の夢について絶対的な確信がある。だからこそ、ここまでも歩いて来たのだし、これからもこの道を歩いてゆくのだし。今だって、ほんっと、「もう、どうしよう!?」って思うのだけれど、その一方で、の~んびりとお茶などを飲んで、みたらし団子をおいしくほおばっている……(あくまでも、ひとつのたとえです)ような自分が居たりして。

勿論、確信があるからと言って、そのことに安住していてはいけないのだけれどね。でも、自分の中に確たるものがあるから、こうして今も夢を信じて歩み続ける自分があるんだよね。これは、ほんっと、自分の中の世界の話だから、おひとにご説明しようがないのだけれど。

ただ、これからもその「確信」を更に揺るがないものにしてゆくために、今後はこれまでとはまた違ったレヴェルで挑戦を続けてゆかなければならない。この春以後、もう「これまでと同じ」を続けてゆけないことだけははっきりわかっているから。

2月4日までの「三週間集中して、聖母マリアさまにお祈りを捧げる」期間が終わったら、きっと天は次のステップをお示しくださるはず。そのときまで、今はここで出来ること、やるべきことをしっかりとやっていくだけ。

そして、何よりも……。わたくしが夢を生きているかどうかに関係なく、お外で派遣社員として働かせていただいていることに、これまでにないほどの、最大級の感謝を。2013年の1月から、「二足の草鞋(わらじ)」生活」をここまで無事に続けてこられたのは、本当に多くの方々のお陰である。そのことへの感謝の気持ちだけは絶対に忘れないように。この生活を根底で支えてくれている両親への感謝も。これらのことについては絶対に忘れてはならない。

これまでお世話になった方々にご恩を返してゆくためにも、絶対にこの夢を実現させなければ。それこそがまさに、12年前、わたくしが箱根を出てきたときに天とお約束してきたことだから。間もなく立春。本格的に2020年の運気が始まる。その節目を前に、祈りと感謝と希望で胸がいっぱいの、今のわたくしでございます。