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母の日を前に、自分の顔のことを考えた

こんにちわ。

明日は母の日ですね…私自身、6年前に母親とゆうものになりました。それまでわからなかった母親とゆう立場の人が味わうであろう幸せや苦しみを、6年分はそれなりに味わって生きてきたと思うのですが、そんな自分が「まだまだクソ子供だった」と猛烈に後悔した呟きを、先ほどtwitterに投稿してしまいまして、戒めのためにも消さずに…これを書いています。

これです。

あーもう、読み返すだけで萎える。

なんで萎えるかの話をする前に…自分の話をするので、少しお付き合い頂けますか?

私には、6歳になったばかりの双子の男の子がいます。多児妊婦はそれだけでハイリスクなわけですが、私は原因不明の出血で妊娠25週で管理入院となり、その後さらに状況が悪化して、さらにでかい大学病院への緊急搬送。出産は超緊急な帝王切開で、術後の私はICUで数日人工呼吸器に繋がれて眠ってましたし、勿論双子はNICU直行です。オペ室に入ったタイミングが悪かったら、3人まとめてあの世行きだったそうです。それでも無事産まれてきてくれた双子。2ヶ月早く産まれてしまったので修正月齢に直すと、まだ5歳だったりするので、同級生の中では群を抜いて赤ちゃんみたいです。なんだったら、まだ自分で自分のうんこ拭くのも嫌がるし、さ行がうまく言えないことに最近本人が気付いて、一生懸命舌の力を抜いて喋ろうとする姿なんて、この世のものと思えないくらいに可愛くて、顔中舐め回したいくらいに愛おしくなります。

これを書きながら、なんだかもう涙が目に滲んでくるくらいなのですが、自分の子供が可愛くて仕方ありません。

顔は勿論。頭の形。おでこのムニュムニュした肉の質感(笑)や、ちょっと乾燥肌でクリームをぬるのが面倒臭いところとか、気持ちの切り替えがうまうできなくて癇癪を起こして泣いて暴れ出すときも、よーしよーしと、ムツゴロウさんが動物たちを可愛がるレベルで可愛がってしまう溺愛ぶり。

とは言え、叱る時はとことんなので、最近は1号が指を頭の上にあてて鬼の真似をしたりするくらいに怒り狂う私もいます。飴と鞭、大事ですよね。

そして、本題。

私は、自分のことが嫌いな子供時代を過ごしてきました。ブスだって思ってたから。周りの評価もそうゆうものだったと記憶しています。

自分のことをブスって思ってる人ってさ、うまく笑えないんだよね。うまく笑えないから、「笑ったら可愛い」とか、そうゆうのがよくわからない。前歯見せるとか、死んでもできなかったし、カメラに向かって微笑むとか、本気で無理だった。そんな子供時代を過ごして、なんとそのまま成人してしまって。

で、23歳から小劇場で舞台に立つようになるわけですが(この成り行きは、別の機会に)それだってエチュードは死ぬほど苦手。台本がなければ何もできない。理由は2つ。

下手くそだからってことと、「自分の顔でこんなことしていいと思えない」が邪魔をしていた。

ここまでお付き合いくださりありがとうございます。もうすぐ終わります。ここまで読んで、私と同じような感覚で子供時代を過ごしてきた方には猛烈に共感して頂けたんじゃないかと思うのですが、そんな私が母親になり気付いたことは、「顔とか、別にどうでも良かった」って事でした。

そしてZUMBAと出会って、更に自然に笑えるようになるわけですがそれもまた別の機会に。

で、私が私の顔に文句を言うのは、私にそっくりで有名な(リアルな世界でね)母親に言ってる事になるし、母親の母親も、写真で見るとめっちゃ似てるし、とにかく私が今ここにいる全てに文句を垂れている事になり、私が母に、母が祖母に「顔中を舐め回したくなるくらい愛おしい」気持ちで可愛がってもらった事を、踏み躙る行為だなって

さっきの呟きを書いて、明日が母の日だと気付いて…急に、悲しくて猛烈に反省しました。

産んでくれて、育ててくれて、本当にありがとう

今も元気でいてくれて、ありがとうを言える場所にいてくれてありがとう

未だに恩返しの1つもできなくて、未だに心配かけ続けていてごめんなさい

旅行をプレゼントしたり、バックをプレゼントしたり、そんなことができる娘になれず、ごめんなさい

私を、私として接してくれて、本当にありがとう

私が好きな顔は小西真奈美みたいな顔ってゆう事実は変わらないけど(笑)この顔と体と心は、両親からもらった大切なものだと今更ながら改めて考えが至った次第。

明日からは、貴女にもらったこの顔に自信満々で生きていきます。