映像作家100人2023インタビュー音楽部分の補足

もう1年も前の話になるが、2023年の映像作家100人にボクのインタビューが載っている。

その時に、自分の領域の「コンピューターかつ音楽」について話したんだけど、音楽部分についてはあまり上手にしゃべれなかったな・・・という思いが残っていたんだけども、今ならうまく言葉にできそうなので書き出してみる。

幼年期

小さいころのポップミュージックとの接点を思い出すと、”ひらけポンキッキ”、”みんなのうた”やアニメ・特撮の歌、お笑い(というジャンルは当時はなくバラエティ番組と呼ばれていた)、それとCMソング。
J-POPや歌謡曲、演歌などは大人が聴くもので、自分は興味がなかった。
なので音楽番組に全く興味がない。
CDなども自分の小遣いの範囲でどうこうする意識もなかった。

JPOP的な文化との接点が発生した自覚があるのは、10歳の頃にたまの「さよなら人類」がヒットしたこと。それまで自分が聴いているような「”ひらけポンキッキ”、”みんなのうた”やアニメ・特撮の歌」と地続きのような曲調、SF・ファンジーな歌詞のものが音楽番組から流れてきて
「え、なんでこんな子供向けみたいな曲が歌謡曲と同じように流れているんだ・・・?」と不思議だった。

12歳の頃、スーパーファミコン版ストリートファイターⅡのCMソングを筋肉少女帯がやっていて、それもJPOP文化圏との接点だった。これも自分の好きなものがJPOPとして扱われていると感じた。「さよなら人類」と似たような現象が起きていた。
いま思えば両方「ナゴム」。たまにナゴムがテレビに出ると自分のチャンネルと合うっていう感じだったのかな。

そうして自分の聴いている範囲は変わらず、たまにJPOPとの接点が発生するような感じ。

ストⅡと同じ年にウゴウゴ・ルーガがテレビで放送されて、今思えばコーネリアスやピチカートファイブとの接点だったのだが、当時は全く知らない。
さらに同じ年にバラエティ番組「ボキャブラ天国」のエンディングとして「今夜はブギーバック」が流れていた。
この曲もドアを蹴ったりピザを食べたりして、自分の好きな世界と地続き。

まわりの友達は「サザン」とかを聴いていたりして
「大人っぽいな~。自分もなんかCDとかに触れてみたいな」と思ってツタヤに行って、筋肉少女帯や”たま”やスチャダラパーを借りる。同じ棚にある面白いジャケットも借りる。それが電気グルーヴの「ビタミン」。
自分はなんとか大人っぽいJPOPと接点を持ちたいと思いながらCDコーナーをウロウロしていたが、当然友人たちと話が合わない。
今もそうだけど、テレビの音楽番組に興味がないんだもの。
そうするとディグるしかない。で、ディグると、テレビから受け取って音楽を聴いてる友人達との趣味が離れていく・・・。基本的にみんなディグらないから。ディグるって言っても田舎なのでツタヤの棚なんだけども、それでも結果は全く別のものになる。

唯一JPOPと接点があるのは嘉門達夫の「替え歌メドレー」。
当然元の歌は知らないんだけど、知らない人のモノマネも面白いって感じでなんとかJPOP的なものと接点を持ちたかったボクは楽しく聴いていた。
今思えばサンプリング・マッシュアップ的な…。
今もそういう異物同士を混ぜ込んでるような表現が好きなのはこのあたりかもしれない。

そんな感じでJPOPと適切に距離をとりながら、ひかりが丘のツタヤで自分好みの音楽を探すようになる。
ある日、新譜の棚にディズニーランドみたいなジャケがあって、異彩を放っていたのが”trattoria menu.100”(1998)。
コーネリアスの小山田圭吾が運営している音楽レーベル”トラットリアレコーズ”の100枚目を記念して作られたコンピレーションアルバム。
聴くと、全員知らない、どこの国の音楽かもわからないけど、全部良い。そんな音楽でいっぱいなCD。
これで、ツタヤの外にこんなにいろんな音楽があるんだという事を知る。今までは余裕で追いかけられていた好きな音楽が、とても手に負えないような膨大な数ある事を知る。

とはいえ、田舎のツタヤにはギリギリ コーネリアスがあるくらい。
高校を出て神戸に引っ越すまでは、どうしようもなかった。

ゲームの世界では、パラッパラッパーとbeatmaniaがPS1で発売。
みんなゲームは遊んでいるんだけど音楽そのものに興味はないみたい。

同時期に世間はビジュアル系ブーム。LUNASEAとか。そしてカラオケブーム。ビジュアル系のようなゴシックな世界観は好みじゃないんだけど、いつも「あなた」の事ばかり歌っているJPOPよりは良いかと思い、友達とカラオケに行くとビジュアル系を歌うという感じ。スチャとか歌っても盛り上がらないしっていう。
ごく親しい友人とアニメ特撮ソングのカラオケに行ったりするくらい。
このころはアニメの曲もJPOP化して正直つまらないので、アニソン特ソンも歌うのは60年代~80年代頭の曲ばかり。そっちの友達とはコーネリアスの話が出来たりする。世界観が地続きだから。

流行に早いヤンキー(ブームの火付け役)が、GreenDayやhi-standardを歌いだして大分過ごしやすくなったなーと思っていたけど、高校も卒業間近だったので、大きな盛り上がりもないまま、この狭い社会は終わった。

映像と音楽

当時はyoutubeもないので、ミュージックビデオを見たければCDショップに行くか深夜番組かWOWOWか。
SFXが好きなので、いろんな手法を駆使しているミュージックビデオを見るのは好きだった。映像作家100人のインタビューでも答えた通り、短い特撮映画のように見ていた(当時はMV制作予算も多かったと聞く)

そして、いろいろ見てくと自分の好きなミュージックビデオはJPOPではなく、自分が聴いているような音楽と地続きな事に気付く。ヒップホップ、ダンスミュージック、オルタナティブ・・・DVDで販売されていたDIRECTORS LABELに収録されているビョーク、ファットボーイスリム、ビースティボーイズなどなど。
CGも早くから駆使され、SFXからVFXへの転換期だった。
こうして幼少期から変わらず好きな音楽の世界が、幼少期から好きな視覚効果やコンピュータの世界とつながっていくわけですね。



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