日記20240226

ここ数日おもろいですねえ。サンリオVfesでいろいろなものが見れて。
おかげで全然しごとが進んでいません。

これはそのうち書いたほうがいいんだと思っていながら書いてない考え方なんだけど、このタイミングで雑にでも書いておいた方が良いので書きます。

なぜその人にはその演出が出来るのか?について。

「ナラティブ」ってものがあります。「語り」と訳されることがおおい。聞きなじみのない人もいるかもしませんが、ナレーションのナラですね。
最近はビジネスまわりで使われたりしてます。あとガンダムになったりもしている(ナラティブガンダムという機体がある)。

語りって言われてもよくわからないので、ネットで「ナラティブ」の意味を調べると文学理論の用語とか出てきて、ますますよくわからない。

けどボクは「誰が何を言う」くらいの意味でとらえています。
これは美術まわりで作家を捉える時に使われるような用法です。
そんなに美術に詳しいわけでもないんですが、作家の人たちがつかっていて便利だなと思って自分も使うようになりました。
この時に説明された言葉の通りに理解しているので、世間での使われ方とずれているかもしれません。

具体例を書きます。
たとえば、ボクだったらMV演出をやったりしているので、MV演出についていろいろ話せます。コラムを書いてもいい。
でも、アフリカの風土についてコラムを書き出したら、なんでレーズンが?となって、よくわからない。アフリカに行った事もないし。

ヒカキンがラーメンを出した時にも「なんで?」と思いました。
詳しい人たちにはヒカキンがラーメンに思い入れのある人だとわかっていたようですが、ボクは知らなかったので違和感を感じてしまったわけですね。

こういう時に「ナラティブが一致している」とか「ナラティブに沿っている」とか言う。「ナラティブに沿っていない」とか「ずれている」とか言う。「ヒカキンのラーメンって、ヒカキンのナラティブに沿って無くない?」「いやあれは沿ってるんだ」とか会話できる。

どっちがより良いというものでもない。ヒトはそんなにちゃんとしていないというか、沿っていなくて自由である方が寧ろ良いとおもっている。

ただ、作品となると見やすい方がいいというか「え?なんで・・・?」って要素がノイズになるので、削ったほうがいい場合が多い。
おもしろいからといって、テンションが上がるからといって、CAPSULEに羽を生やして飛ばせない。羽を生やして飛ぶには、羽を生やして飛ぶようなヒトであることが要るんですよね。

キヌさんは蚕なので羽で飛ぶことにすごく重要な意味がある。
アーティストにはアーティストが「なぜこのタイミングでこの歌を、曲を、歌詞を出したのか」その理由がある。
なぜそのアーティストがVRChatでライブをするのかに理由がある。
なぜ根本凪がVRChatでMVを撮る必要があったのかには理由がある。
なにかしらある。たとえオファーが来たからみたいな受け身の理由でも十分な理由だと思います。それを運命と捉えて表現にのせる。

つまりあのアーティストの演出を、こっちのアーティストで出来ないのは、アーティストの人生が違うから。
とりまく文化や流れが、状況が、ヒトそれぞれだから。です。

なので、とても感動した演出があるとして、自分の演出に組み込むには、ただ手を動かすだけじゃない大きな準備が必要なんです。
オファーしてくれたアーティストのナラティブを背負ってひとつの表現に落とし込む指針が企画なわけです。
文脈と動機があり、ないなら導いたり見い出したりする。
演出家はそれをアーティストと共犯する。
いっそ、この演出のために曲を作ってくれと言ってもいい。
そういうのがうまくいくと、見た人にとっても大きな感情が生まれるわけですねえ…。

なので、ボクはボクのために、そろそろ曲を自分で動かさないとならないわけですねえ。大変だあ・・・。

仕事に戻ります。

※これをずらせばギャグになるし(松平健がなぜサンバを・・・?)
自分から離れて流行りにのると軽率になったり、大喜利になったりしますね。

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