VRの実在感はどこから来るのか

いわゆるVR環境を指して、Immersiveメディアなどと言う流れがある。
それを日本語に訳す時に「没入感」と言う言葉を使う人が多いけど、それは違うと思う。

ぼつにゅう‐かん〔ボツニフ‐〕【没入感】
読み方:ぼつにゅうかん
他のことが気にならなくなるほど、ある対象状況意識集中している感じ

小学館 デジタル大辞泉

VRだったらなんでも没入するかといえば、しないよね。
作品の描き方によって没入感の高低はあるが、メディアによって没入感を得る事が約束されているわけではない。もしそうなら現実はいつも没入感が高いはずだ。
小説のように常に自分で世界を想像する必要のあるメディアのほうが、没入感が約束されたメディアだとすら思う。
という事で、この記事ではVRメディアの実態感について書きますね。

実態感


VRの実体感の正体は全天球立体映像だけが肝なんじゃなくて、インタラクション量だと思っている。

デスクトップゲームで、最初はプレイヤーキャラをただキャラとして感じていたのが、だんだんと「イテッ」とか「熱い!」とかキャラが感じたことを自分も感じるようになってくる。
こういう経験した人は多いと思う。その頃には世界にもなじんでくる。
ボクは、操作をした回数や世界に触れた回数、つまりインタラクションの量が閾値を超えると、自分=キャラという感覚の結びつきが強くなるんだと思っている。

デトロイトビカムヒューマンなどQuantic Dreamゲームで、小さくて面倒なインタラクションを、わざわざたくさん用意しているのはコレだと思う。



デスクトップゲームは基本的にボタンを押した時にしかキャラが動かない(= インタラクションがない)。
けど、VRではゴーグルとコントローラが常に動いてしまう。ヒトは完全に静止できないから、ただ立っているだけでカメラは揺れるし、手も動く。たった数秒の間にデスクトップの何倍ものインタラクションが発生してしまう。

その、とんでもない量のインタラクションによって、一瞬にしてキャラと自分が一致してしまう。世界に入ってしまう。自分がそこに居るんだという実在感を得る。

その状態でライブを体験したり好きなキャラに出会う。
VRで何かを体験するっていうのはそういう事だと思ってる。

phi16さんによる「インタラクション」の補足も置いておきます。難しい言葉で書かれていますが一般的にイメージする「インタラクション」のイメージより視座が広く面白いです。Xを開くとスレッドになっています。

https://x.com/phi16_/status/1783044686091112930?s=46&t=UCEb5JB4wYme1TA4ERMQDA


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