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one day photo_11

今までどうも写真が上手くならないなーと思っていて、いまでも大して上手くないんだけど。人と話してもどうも勘違いした理解の仕方をしていることが多いというのが最近思ったこと。
話していてもなんでそんなことがわからないんだみたいな感じになったり、しまいにゃ怒られてしまいそのグループからは離れてしまったりとかあった。技法書じゃなくて、別の本を読むようになったら少し理解が出来るようになってきたというか、技法書で言っていることの意味が少しわかるようになったりした。
写真の技法書、ナショジオ本とかマイケルフリーマンとか読むよりも先に、写真の歴史とか、美術の歴史を勉強したほうが僕には良かったかなと思う。

最近一つ嬉しくなったのは、水平垂直がちゃんととれるようになったこと。
今まで肉眼で見ている景色と定着する像が地続きだったんだけど、それを切り離して、印画紙上の像としてそれは水平垂直取れてるかっていうことが考えられるようになった。カメラの水平器とかそういう話じゃなかったんだ……と、視線の認識というか主観の水平垂直と、客体の水平垂直をちゃんと切り離すことが出来たと感じている。
なので、最近そのへんは狙って撮れるようになったと思う。

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前景って何ですかっていうと前に映るもの、広角だと足元とかっていうのは間違っているというのも最近気が付いた。間違いというか、画面内で足元が前景として機能していれば前景でしょうと思うけど、必ずしも足元が前景なわけではないというか。フレーム内の世界と、肉眼で見ている世界は違うというか、写真はフレーム内のに何をどうやっておくかですよっていうことなのかなと。
で、こういうことに意識的じゃなかったから、四隅を見ろとか言われてもあんまり意味が無くて、フレームに対して線や面はどういう形状になっているかとかそういうことだよって、あんまりわかりやすく書いているような本は技法書にはなかったのが、今考えると腹立つ。

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見ているのと同じように撮影したいと聞くと例えば鈴木理策さんとかが浮かぶ、僕はどちらかというとカメラ本来の形式と両輪のようなシュルレアリスムというか、モダニズムの世界に今(今月)は興味がある。
絵画的な、ピクトリアリスムではなく写真本来の特性を活かすことで写真は芸術として独立したっていう所まで勉強がたどり着いた。
そこから見ると、今までいたSNSの風景写真ってなんだか不思議な世界に見える。

登山ブログを書いたり、山で写真を撮っています、登山写真で気が付いた技術をひたすらつぶやきます。