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#218 50cmの距離

既に使われなくなって久しい路線のレールと並走するようにバスは走る。

太陽の光が車窓越しにでも暑く感じるほど、季節外れの陽気がどこまでも青い空と、木々の緑に強く鮮やかなコントラストを生じさせている。

途中、道を塞ぐように両側から塊感(カタマリカン)の強い短いトンネル状のものを幾つかくぐりながら、バスは北へ向かってゆく。

乗客全ての目的地は同じで、そこは「板門店」と呼ばれる緊張感の高く張り詰めている場所である。
なんといっても韓国と北朝鮮が対峙する「軍事境界線」なのだから。

所々にあるそのトンネル状のものは有事の際に壊して道路を塞ぎ、北の南進を防ぐ為にある。

長い軍事境界線の中で一部JSA(共同警備区域)とされているのが一般的に板門店と呼ばれるエリアであり、簡単に「時間できたからちょっと行ってくる」というようなところではない。
個人で訪問することは認められておらず、ツアーでしか行くことはできない。
また韓国人の訪問は許可されていない。(⭐︎註: 1)

また参加するには幾つかの条件があり、年齢20歳以上であることの他にドレスコードとして「襟付きシャツ、スラックスに革靴着用。ジーパン、スニーカーは不可」とある。

詳しく聞くと、板門店に行くということは「北」からも見える場所に立つ訳で、もし撮影された場合、南ではTシャツやデニム、運動靴などの見窄らしい格好をしているとプロパガンダに使われるという。

「この写真を見てみろ。言っている通り、南は貧しいだろう?」

今時、それらが貧しさの象徴と言われて納得するほど北の人達の情報は前時代的なのだろうか。

仕方ない。
衣料品なら何でも揃う東大門市場へ赴き、ジャケットやシャツ、スラックス、安価な革靴 (実際は人工皮革)を購入する。
安いとは言え、私にとってとんだ散財である。

ツアー参加者はソウル市内のホテルに早朝集合し、バスに乗り込む。
同行するガイドさんは中年の女性で、達者な日本語で自己紹介をし、時に大して面白くもないジョークを交えながら満面の笑みでカジュアルトークを乗客と交わしている。

これから向かう板門店の歴史、注意すべき事柄などを伝える時でさえ、常に顔のどこかが微笑んでいるように見える。
明るく、気さくで柔らかい雰囲気を持つガイドさんだ。

途中休憩をしながら2時間弱ほど走っただろうか、バスはアメリカ軍の施設に入った後、乗客は降ろされ、大学の講義室のようなところへ案内される。
そこで禁止事項等のブリーフィングを受け、その後短い映画を観ることになる。

ここに来るまでバスの中で聞かされた歴史や事件等、より詳しく説明された映像だ。
小競り合いや、突発的な衝突、軍事境界線を超えて亡命する者がいたり、それに伴う銃撃戦が何度かあり、そういったエリアであることをこれでもかとアナウンスしてくる。


ツアー客の中に少しだけ緊張感が生まれてきたような気が。

その後、大きな食堂のようなところへ通され、山盛りのオートミールとてんこ盛りのポテトサラダののったプレートが供され、昼食なのだと知る。
腹が膨れりゃいいだろうと言わんばかりの餌、いや、食事である。

食事が済むと参加者ひとりひとりに書類が渡されそこにサインをさせられる。

「本日起こったことの責任は全て私にあり、何があっても韓国政府・国連軍(⭐︎註: 2)に問うものではない。
      ○○年 ○月○日
         Red Rooster」
(大意。一言一句この通りではない。詳細は失念した。)

コトここに至って(なるほど、そういう場所に来たんだな)との思いが改めて湧き上がる。

さて、いよいよ軍事境界線へ向かう。
冷戦後ではパレスチナや東チモールと並び、張り詰めた何かがあるところだ。

歩いていくと自由の塔と呼ばれる北側を望む展望台のようなものが姿を現し、その向こう側には報道等でよく見かける青い「小屋」としか言いようのない部屋の幾つかが左右に5〜6m程の間隔で並んでいる。

その5〜6mの距離を側溝の蓋のような幅50cm、高さ1cmほどのコンクリートが敷かれている。

正にそこが軍事境界線であり、その境界線のこちら側には韓国の兵士、あちら側には北朝鮮の兵士が立ち、「反対側」から視線を外さない。

そして視線を上げるとその先には階段が設えてあって、少し小高くなったところに板門閣と呼ばれる建物が静かにその姿を見せている。

因みに板門店とは朝鮮戦争の停戦協議を行う場所にあった飲食店に中国がその名を看板に書いて掲げたことから来ている。

勿論、軍事境界線へ近寄ることは禁じられているが、幾つか並ぶ小屋のうち、真ん中に位置する会談に使われる部屋へは入ることが出来る。

学校の教室の半分ほどの大きさだろうか、縦長の部屋の中央には丁度外に走る軍事境界線をトレースするような位置で長机が置かれ、緑色のフェルトが敷かれている。

その机の真ん中をマイクのコードがこれまた丁度北と南を分けるような形で走り、その先に其々の代表が使うマイクが2本静かに置かれている。

また、長机の半分が南側、もう半分が北側なのだが、そこにそれぞれの小さな国旗が立っている。
南の国旗は高さ30cm弱といったところだが、北のそれは50cmはあろうかというもので、互いに自国の方を高くしようと競り合い、その時点では北がこんなに高くなってしまったとの話であった。

その机、そのマイクのコード、その国旗の向こう側は日本のパスポートで行けない唯一の国、朝鮮民主主義人民共和国、通称北朝鮮なのだ。

そしてその部屋に限り、机を超えて部屋の端まで行くことができ、それはつまり事実上軍事境界線を越えた「北」に立つことになる。
当時スマホがあり、位置情報を見ればそれは北へ越境したことを示していた筈である。

私も行ってみる。

軽い緊張を覚えながら部屋の中を南北に分ける長机とそこに伸びるコードを迂回して地理的には北の地に立つ。

何も起こらない。
それはそうだろう、何かが起こったら大事である。

奥まで進み、ガラス窓から外を覗いてみると1メートル程の至近距離に北側の兵士が立っている。
何かを睨みつけるように、ただ一点だけを凝視しているかのような厳しい表情だ。

この瞬間、彼は物理的な意味において世界で最も私の近くにいる人物であり、同時に反対側から地球を回れば4万km離れた、世界で最も遠くにいる人物でもあるのだ。

しかし、そこにいたのは紛れもなく我々と同じ人間である。
彼にも家族はいるのだろうし、また愛しい人もいるだろう。
きっと笑いもする。
当たり前である。

北と南は幅50cm程のコンクリートや薄い壁一枚で隔てられているだけだが、見た目の寸法や厚さ以上の意味をそこに込めてしまっているのが現実だ。
これらが別つものは余りにも大きい。
世界で一番長い50cmだろう。


往路のバスの中ではにこやかで、ゆったりした話し方をしていた我らのガイドが、この地に来てからかなり緊張しているのが分かる。

「さあさあ、もういいでしょ。早く部屋から出てください」

「ほらほら振り返ったりしないでサッサと歩きましょう。」

何かコトを起こすような不埒な参加者がいたらたまったものではないと思っているのだろう。
今までとは明らかに違う早さとトーンで我々を急かすのだ。
私に送る視線にも猜疑の色が見て取れる。
(気がした)

両手を広げて貴方も貴女もと誘導する姿は、放牧されている羊の周りを駆け回り、ひとつところへ囲い込もうとする羊飼いの犬のようである。

その態度に接し、板門店のキリキリと、そして鉛のような重い空気感を一層強く感じたのであった。

現地にいたのは10分弱といったところだろうか。
忙しないとは感じたものの、何があっても責任は問えないのだから羊飼いの犬、もとい、ガイドさんの言うとおりサッサと立ち去ることが賢明なのかもしれない。

とまれ、冷戦終結後、世界で唯一残る「冷戦」の最前線へ行ったことは強く印象に残っている。

帰りのバスの中では朗らかで、ゆったりとした口調に戻ったガイドさんが、軽く鼻歌を口ずさんでいたことに私は気付いた。

(何もなくて良かったね、ガイドさん)

バスはソウルへと向かい南下を続け、北が遠くなってゆく。

来る時に感じた窓外の強いコントラストが少しだけ緩くなっているように思えた。


⭐︎註: 1
30年以上前の訪問であり、現在は韓国人の訪問も許可されているようである。同様に現在のツアーの内容、又は詳細と違っている可能性は大いにある。


⭐︎註: 2
「国連軍」の名称は認められているものの、国連安保理主導・指揮によるものではなく、実際はアメリカ軍主導のアメリカ・韓国軍である。

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