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#213 夏の戯言

暑い日が続く。

そんなことはどうでも良く、本題だ。

スポーツ全般に言えることだが、短い試合の中にも流れがあるし、麻雀などのゲームの中にすらそれはある。(ように感じる)
そうであるなら、ヒトが生きていく間にも当然それはあるだろう。

理屈を超えたところで「ツイている」ことはある。
逆に言えば何をやっても上手くいかない時もあるというワケだ。

そこのところを上手く、しかも早めに嗅ぎ分ける力を養いたい。
それには場数を踏むことが近道だろう。
そして現場の力学にうちのめされることだ。

「書を捨てよ、町へ出よう」
と言った詩人がいた。

尤も今は本なんて読まないか。

しかしこんな事を言ったからといって現状を憂いているわけではない。
ないのだよ。

現代はネットで殆どの事は分かってしまうし、(それらは玉石混淆である事は言うまでもないし、また理解できたと思うのは大いなる勘違いであるが)そのネット世代の若者の中でもしっかり現場に立ち、経験を積んでいる人も大勢いるなという実感がある。

誰かが言った。
「経験とは貴方に起きたことではなく、それに対して貴方がしたことである」


私は予め若者の味方をする気なぞサラサラないが、(大人の味方をしているわけでもない)年齢が若いと言うだけで未熟であるとか、考えが浅いとか幼稚であるとの判断はしない。
(幼稚園児はこの限りではない。)
歳を取っていても未熟で幼稚な人間は沢山いる。
年齢は関係ないのだ。
私を見れば良く分かるだろう。

若者に経験が少ないのは当たり前であって、義務教育に通う頃から酸いも甘いも噛み分け、人情の機微に通じた児童がいたら、教師はやりにくくて仕方ないだろう。

その時々の年齢でアタマとココロとカラダを巡らせればいいのだ。
そして自分がまだナニモノでもない若いうちに沢山の「いい人」に会っておくといいと思う。

「いい人」がどういった意味なのかは自分で考え、感じ取って欲しい。

そして、このような聞いた風なコトを言うオトナの戯言は聞くも良し、躱すも良し、丸めて捨てるも良し。
何故なら、言っている本人も大して分かっちゃいないのだから。

それも私を見れば良く分かるだろう。

暑い日は続く。

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