#207 印象と打率
面白い人が好きである。
「面白い」には笑いを含まず「興味深い」という場合もあるが、本日は笑いを喚起するという意味での話を少し書く。
「あの人は面白い」と言う場合、2つのパターンがある。
細かく分けると約78パターンほどあるのだが、今は理解しやすいように2つにしておこう。
一つは自分から面白い事を言ったりやったりするタイプ。
当然ながら周りが笑うと嬉しい。
もう一つは本人はそのつもりはないのにやることなすこと、何故か面白いというタイプ。
周りが笑っていてもどうして笑っているのか分からない。
後者は、もうこうなったらシメたもので、(何が"シメた"のかは分からないが)何の努力もせず笑いが取れるなんて素晴らしい!
まあ、笑いが取れるのか、笑われているのかの境目は曖昧にして模糊だが。
ああ、曖昧模糊って言えばいいのか。
ここで言いたいのは前者のタイプなのだが、実は「面白い人」とは面白いコトを言う人のことではない。
面白いコトが言ったことの2割を超えたらたいしたものである。
野球だって3割にとどけば一流だ。
つまり、7~8割はつまらない事を言うのだ。
そうなのだ。
私の言っている事が9割つまらなくても、それは私がつまらない人間だからではない。
そういうものなのだ。
いや、面白い人と1~2割ぐらいしか違わないではないか。
ここから導き出される結論は(結論に至る道筋が異様に短いのが私の特徴である。)「面白い人」とは・・・
「とにかくナニカ言う人。ナニカを言い続ける人」
これに尽きる。
言い続けて一万の発言のうち、千面白かったらそのヒトは面白いヒトなんである。
人間は高い確率でつまらない話を聞かされてもたまに放つ面白い話の方を印象として持つ。(多分)
打率は低くとも試合に出続けていればヒットの絶対数は増えるのだ。
世に言う「"累積は印象を凌駕する"の法則」である。
嘘。
実は世ではなく、私が言った。
しかし流石にいつも1割台だと偶のクリーンヒットが凡打の印象を超えるのは難しいかもしれない。
のちの「"流石にいつも1割台だと偶のクリーンヒットが凡打の印象を超えるのは難しい"の法則」である。
勿論、嘘なの。
ことほど左様に受け手側の印象というものは曖昧にして模糊なんである。
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