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#209 新たな景色

私がここで休むに似た考えを述べたり感じたことを書いたりしている時、それを読む人は私を「ここ」に感じているのだろう。

音楽や絵画などの作品に於いて作者の息遣いや気配を感じるように。

勿論、表現者ではない私の書くものは言葉の羅列に過ぎないし、作品と呼べるようなものではない。
しかし目の前でナニゴトカを言う訳ではないのだから、PCであれ、タブレット、またはスマートフォンであれ、この無機質な アクリルだかプラスチックだかガラスだか知らないが、読む側にとっては「この面」にしか私はいないのだろう。

しかし不思議なことに、画面に映る 点の集合に過ぎない「字」(本であるなら"インクの染み")と言うものを目で追うだけでその人の気配や表情も感じ取る事が出来る気がするのは面白い。
会ったことのある人なら尚更そう感じるだろう。

最先端の技術とは言え、人間の感じとるチカラが無ければこれほどツールとしてPCやインターネットが広まることはなかったのではないか。

今月になって私の友人が某SNSを休止したが、そこに氏が「いなくなった感」は想像以上のものがある。

いや、元々そこにはいないし、単なる画面であり、新たな記事の投稿が無いことは今までにもあった筈なのに、何故か喪失感がある。
それだけ生活に欠かせない存在であったのだろう。
改めて楽しかった日々に感謝したい。

「アナタノコトデスヨ」

しかし、じきにそれも少しずつ埋まっていくだろう。
新しい舞台はいつだって見慣れない景色から始まるものだし、もっと言えば寂しさから始まるものだからだ。

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