脱、自分に対する固執主義

かつて、研究に没頭できる、ことの意味が分からなかった。これは一例で、別に研究じゃなくたっていい、なんでも同じ、それは自分そのもの以外へ関心を向ける行為をできることが到底信じられなかったからだ。

からだ)身体、それは昨日の延長上にあり、アナログ的に直前の私に由来し、思考によって行き先を変える。

変える)帰るところがあると信じながらやみくもに、クレーンゲームに吊られるように移動するように生きていた。

ていた)停滞する加速度に負けて、だらだらと日常をこなし、社会*の構成員になるための圧力に苦しみながら、成長**をしながら、ペルソナをこなしていく。

ていく)テイクオフする日がいつか来ると頑なに信じていた思春期の延長上に、その私はもう透明度を増していて、私すらも把握できない私が今ここに私の中心を占めている、私は私の中に社会を持っている。


まじでくそ

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