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茶摘みの記憶は美容院から

240324(日)

『52ヘルツのクジラたち』を観た。
批判します。
描かれている不幸からの抜け出しに、描かれなかった不幸がある。全員が少しづつ不平等になるのが社会だと思うけれど、そこに「こういう人間だったら不幸になってもいい」という線を引いている。
ヒロインのキコさんは、母親の再婚相手の介護をさせられていた。母がお金を稼ぎ、キコさんが介護をする。そういうシステムでまわっていた。
友人たちは、それをおかしいと言い、キコさんを強制的に家から出す。そして抜け出す手助けをしてくれた1人の人に恋をする。そんなシーンがある。
母親、そして義理の父親がその後どうなったのかは明確には描かれない。施設に入れるという手段が提示されていたが、それを賄えるほどの資金がどこから出るのかは分からない。
義理の父親はかつて娘に暴力を振るっていたのだろう。母親はそれを助けなかったのだろう。家族というものが呪縛であるから、そこから抜け出すことは“正しい”と描かれていた。

最近、安楽死についての本を読んだ。印象的だった一節を引く。

「死にたいほど苦しんでいる人を置き去りにしないために安楽死を合法化しよう」という人たちは、それらの「死にたいほど苦しい」人のうち、誰なら安楽死で死んでもいい、誰は死んではならないと、一体どこで線を引くというのだろう。その線引きはどのように正当化されるというのだろう。そして、忘れないでほしい。いったん引かれた線は動く。

児玉真美『安楽死が合法の国で起こっていること』(ちくま新書)

義理の父はかつて悪い人だった。だから見捨ててることは正当化されて然るべきだ。
それは、渦中にいる人間にとっては当然の倫理だろう。だが、それを映画を観る視聴者はそのままに受けとってはならないと思う。どれだけ、悪人であろうとも、見捨てることが正当化される社会規範が出来てしまえば、“自業自得”の名のもとに、人の命に値段が付けられる。
生命倫理学はホロコーストの灰から生まれた。人の命に階級をつけ、医学的無益性という明確な線を引くことはホロコーストへといとも容易く転じてしまうと思う。そして、この映画ではさりげない場面で人間に値段をつけていた。絶賛されるのであれば、日本社会は今、滑り坂の真っ只中にいるのではと思う。

240325(月)

髪を切る。初回予約3000円。
美容院って初回の人に大幅な値引きをするからリセマラが横行するような気がする。
仕上げに使ってもらったワックスからはなんだか懐かしい香りがした。しばらく考えて、茶摘みをしている時の手に着く匂いだと気がついた。茶葉をつくる作業、好きだったな。

緑1面の茶畑に立ち、新芽を1枚1枚村の人が量産した籠にいれていく。摘み終わったら軽く炒り、温かいうちに畳でそれを揉んでいく。手にはめた滑り防止の軍手が段々と焦げ緑色に染まっていく。

一片の香りがここまで記憶を呼び起こすものかと心踊り、購入しようと迷ったけれどやっぱりと思い直した。こういう香りに毎日浸ってしまったら、段々と思い出がすり減っちゃうからさ。

240326(水)

今日は色々あったので丁寧に追っていこうと思う。

–Section 1–
雨が降っていたので、傘を買いに出かける。降る前に手に入れておきたかったけれど、必要性に駆られるまでは行動に移せないから仕方ない。濡れるだけだし。
角を2回曲がった先の1番近いLAWSONでビニール傘を買う。ビニール傘はクリアで視界を大きく遮る訳でもないから大好きだな。不透明な色つきの傘は視野を狭める(物理)だから、あんまり好んで買わない。
1度帰宅し、傘の持ち手に目印をつける。5年くらい前に京都の鉱物カフェで買ったマスキングテープ。こうしておくと「間違えちゃった〜」という名のもとに傘を盗んでいく輩の発生を予防できるし、なによりかわいくてテンションが上がる。マスキングテープって傘に貼るためにしか使わないよね。みんなはどうしてる?

–Section 2–
濡れた服を洗濯して、髪を乾かした。出かける準備は万端。夜に下北沢で映画を見る予定だけあるから、それまで街を散歩しようかな。雨だしそこまで気温も下がらないだろうとよく分からない楽観視をしながら、アウトレットで買ったシャツにアウターを1枚羽織り外出する。普段は駅まで自転車を使うけれど、今日は余裕があるし何より雨が降っているから時間をかけて歩くことにした。途中のドラッグストアで好きなガムを買ってそれを頬張りながらまだ重たい瞼を起こしていく。

–Section 3–
下北沢の駅を降りると、びっくりするぐらい栄えていない。そんなことある!?と思いながら歩いてみると、人がいっぱいいる通りに出た。出口の引きを間違えただけだったようだ。安心安心。パッと視界に入るだけで古着屋さんが3店舗見える。
雨が降っていて体感温度がどんどん下がる。多分実際の気温もそこそこ低い。喫茶店を探す。どうやら下北沢は音楽の街らしくって、ジャズ喫茶とかいうハイカラなものがサジェストに沢山出てくる。2番目に近いお店に行こう。
狭い階段を少し登るとドア越しに店内BGMが少し聞こえてくる。平日のお昼だけれどちゃんとやってることに安心した。
珈琲とレーズンのパウンドケーキを食べる。昔、母親がパウンドケーキを無限に作ってくれたことを少し思い出す。ジャズらしき音楽が流れていて店内は一人客しかいなかったから音はそれだけ。たまに珈琲カップのカタカタいう音だけがリズミカルに流れる。

–Section 4–
夜までまだ時間があるけれど私はそんなに服とか音楽に興味があるわけでもないし、何より雨が降っているから時間を潰せそうもない。歩きたくもなくなってきたし。だから他の街まで移動しようと駅に向かった。すると、
「15時からお笑いライブやってます。無料です!!」
という大きな声。無料というのが少し怖いけれど、どうせ暇だしと看板を持つお兄さんに聞いてみる。

「お笑いライブ見に行ったりしますか??行ったことないんですね、じゃあこれちょうど良いかもしれないです!」
「好きな芸人とかいますか??え、エバース好きなんですね。じゃあお笑い結構詳しいじゃないですか」
「僕はフリーでやってるんですけど、今日のメンバーの中には所属してる奴もいるんでちゃんと面白いですよ!」

とびっくりマーク多めのおしゃべりをしながら会場に連れて行ってもらう。
「ここです!」と入れられた会場はちょうど高校の教室程度のサイズで、前にセンターマイク。そしてパイプ椅子が並べられている。お客さんは私ともう1人だけ。
ガランと広がった空間で滑った空気が流れたらどうしようと勝手に心配する。

杞憂だった。
ウケようとした地点が面白くない、というのが「スベる」という現象だと思うが、それが全く起きない。ただ、特段笑いが起きるわけでもない。
電車の中で隣の2人組の会話を聞いてる時に近い。なんとなく話を追いかけるけれど、笑うこともないし笑いに期待することもない。そして、そんな組が何ペアか続いた後にたまに面白い会話が聞こえてくる。うんうん。心地よい時間だった。おすすめ。
いや、多分本気でやってるだろうから失礼だな、この感想を抱くの。と思ったのでなけなしのお捻りを免罪符として箱に入れて出る。

–Section 5–
携帯を開くと大学の時の友人からDMがきていた。
––どこ住んでる?今度遊ぼうよ。
––八王子だよ。でも今ちょうど下北沢で暇してるから、来てよ。
30分後に来てくれるというから、慌ててご飯を食べる場所を探す。中華でいいかな。改札から出て雨に濡れずに行けるとこ。うん、ここにしよう。

「人形焼持ってこうと思ったんだけどさ、忘れた」
「言わなかったら謝らんで済んだのに」
「ごめんな」
「無から負を生み出すな」
「あれ、負と正の間に、何も無いっていう概念が必要....!?」
「ゼロを発見したインド人のモノマネ??」
「ヒンドゥい話や」
ケタケタケタケタ。
毒にも薬にもならない話をしながら、カラっとした笑い声をあげる。

小籠包を食べながらビールを煽ってると、烏龍茶の彼は「お酒、美味しいと思って飲んでる?」とクリティカルな質問を投げてくる。別に美味しいとは思ってないなぁ...。
でもでもでも、油汚れって水じゃ落ちないじゃん。だから、水よりは多少なりとも疎水性のアルコールの方が口の中をリセット出来るから、ご飯がもっと美味しくなるんだよ、とトンデモ理論で納得させる。
見切り発車で話し始めても意外と論理の整合性が取れてしまう。コツは話始めに「でもでもでも」と強めに否定すること。

晩御飯を食べ終わっても、喋りたりなかったからそのままミスドに入っていく。ずっと笑っていたからなんの話しをしたかは覚えていない。記憶に残すまでもない会話を一生できるというのはそれなりに良いものなのかもしれないな。

–Section 6–
解散して、私は21時半からの映画を見に行く。駅近くのK2。目的は最近話題の不条理ホラー『NN4444』。
4作品のオムニバスで、時間制約からかどれも非常に余白が多い。もう一度みたいとは思わないけれど、大好きな作品だった。
水の呪いを受ける“洗浄”がかなり良い。

監督が上映後にお話をしてくれた。
予算が潤沢ではなかったから撮影がずっとギリギリでそれが一番怖かった。
撮影現場のコテージで心霊現象らしきこともそこそこ起きた。
なぜか大量に置かれていた20こ程度の火災報知器が部屋のあちこちでなり始めて、それをスタッフ総動員で止めるというドタバタに時間を取られてこまった。

ホラー映画の撮影で実際に心霊現象が起きるという話は聞いたことがあったけれど、それが時間ロスにつながって困るというのは当事者ならではの目線だなと思った。

–Section 7–
帰りの電車で「不条理」とはなんだろうと考える。
ある人は言語で措定出来ないものだと言い、ある人は死が遠くなることだと言っていた。
私にとっての不条理は、まだ個別具体的なものでしかなくて抽象化は出来ていない。折を見て考えることにしよう。
雨はほとんど止んでいた。まだ少し寒かった。


240327(水)

半年前の交流会で会った会社の同期になる人とご飯に行く。これからまた、この場所でも、良い人間関係を作って行ける気がして嬉しくなった。

240328(木)

朝、とんでもなく部屋の空気が乾燥していて、喉が痛くて目を覚ます。慌てて机の上に放置していたジャスミンティーのペットボトルを手に取る。少し残しておいてよかったと安堵する。
名刺入れを買わなきゃな、と新宿ルミネに行く。タケオキクチが大好きなので小物はだいたいここで揃えている。黒一色の名刺入れを見つけて、それにする。値札を見るのを忘れていたから、レジで少し驚いた。これは内緒。

chelmicoの"I wanna dance with you"を聴きながら、下北沢をくるくるまわる。19時からダウ90000の単独があるからそれに向けて気持ちを整えていく。

席番はG神引きだった。3列目の中央。え、1番いい席じゃない?これ。最高。最高最高。
100分の公演、コントは6つ。ぜんぶぜんぶサイコーに楽しくって、信じられないくらい笑って、これ以上ないくらい幸せな時間だった。嬉しいなぁ。
配信も買お。

あまりに幸せで、またサブスクでランダムに音楽を流しながらゆっくり家に帰った。雨がまた降ってきたけれど気にならなかった。


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