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こうして街は廻ってる

240301(金)

花粉。

240302(土)

13時から先輩4人と名駅でビールをあおる。クラフトビールの味がどれだけ言語化されていても、美味しいかどうかは結局飲んでみるまでよく分からない。メニューに並んだ上から順に飲んでいくことに決める。
2時間かけて4杯ほど飲んだあたりでグロッキーになる。 まだ明るいからと次の店に向かう。
2軒目はだいたい眠っていたので何も覚えていないまま3軒目になる。
酔いに酔った人たちが集まると、普段は絶対に口にしないような言葉が飛び出てくる。
「40で不惑はさすがにハードスケジュール」
「ベンサムとカントは対立構造にあるから、両方のフレームワークを取り入れとけば口喧嘩に勝てる」
今日しか聞けないなあこんな口上。飲み会の醍醐味だ。

私が一番年下(&一番稼いでいない)ので、必然的に先輩たちが財布を出してくれる。ありがたい。大きな声でお礼を言う。
2番目にお金を出さなかった先輩が私の隣にやってきて、「それぞれの人生で誰かに還元していこうな」と耳打ちする。内緒話みたいな決意表明が飲み会の締めくくりにはぴったりだった。

240303(日)

後輩の家の庭で7輪。煙に巻かれているあいだは花粉が相対的に減るような気がして積極的に肉を焼く。魚も焼く。久しぶりに魚の目を食べた。生き物を口に入れているという感覚があまりに強くて少し怖い。部位によって生命の確からしさが変わるのは何故だろうか。
共食いというものが本能的に忌避される行為であるという仮説を立てる。今自分が口にしているものが同種の生物であるか否かは、味ではなく見た目に宿るはずだ。目という部品は生物によって大きくは変わらないからだ、とすれば一定の説得力が与えられる。

公式ルールに則ったUNOをする。
ハウスルールが蔓延しているせいで知らない人が多いと思うが、
・2枚同時出しが出来ない
・ドローツーにドローツーで返せない
・ドローフォーはそれ以外に出すものが無い時だけ
・1人が上がったらそこで終わりで点数計算に移る
というのが公式ルール。実際にやってみたが
「これ、重ねて一気に出したいな...」
みたいな気持ちが出てくるから、ゲームが有名になるにつれて公式ルールが廃れていった理由がよくわかった。
少し違うけれど似たフレームとして大富豪がある。大富豪は始める時にゲームルールを統一するという可笑しさがある。
「シバリはどうする??」
「6捨て7渡しでいいよね」
「いや、10捨てじゃない??」
こんな広く認知されている割に奇っ怪なお作法だ。
大学初年度に皆が鼻息を荒くして「ウチの高校では〜」と声たかだかに叫ぶ光景はある種のイニシエーションかもしれない。

240304(月)

デスクワークをしていると、S先生が遊びに来てダラダラとお喋りをした。
「分子研がつくられた裏向きの理由」
「H大某教授の助教時代のハラスメント事件」
「(自粛)が(自粛)の事情」
分子研生活の最後にいい話が聞けたな、と思いながら相槌をうつ。さすがに去り際になにかお酒でもプレゼントしよう。忘れないように。

夜、友達と久しぶりに電話する。
『路傍のフジイ』はperfect daysの「こんなふうに生きれたら..」のみを抽出した漫画だとプレゼンする。思っていたより伝えられなくて自分の能力の限界に辟易とする。
良いものは正当な評価を得るべきだけれど、コンテンツが溢れかえった世の中ではそれが叶わないことが多々。それでも、届くべき人に届かない作品があってはならないと思うから、今日も私は声を荒らげる。

240305(火)

お昼ご飯後にビタミンを摂取しようとKAGOMEの野菜生活を買いに生協へ降りる。仲良くしてもらってるレジの奥さんと世間話をする。あの年代の女性のコミュニケーション力ってすごい。どのタイミングでレジを離れていいか全然分からない。誰か立ち話をする時、「じゃあ、、」と言い出す適切な時間を未だに見つけられずにいる。喉の奥にずっと立ち込めている。タイマーをセットしてくれたらいいのにな。

児玉真実さんの『安楽死が合法の国で起こっていること』を少しづつ読んでいる。
週末の飲み会で安楽死についての議論があがったが、恥ずかしながら私の知識が乏しくてついていけなかったから、こうしてちゃんと読んでるってわけ。
足らなかった知識をちゃんと補完しようとするのは私の幅が広い所以だよな〜。

安楽死に関しては『Me before You』から得たスイスで合法化されてるんだろうっていう浅い知識しかもっていなかった。と思ったらそれすら間違えていた。

まずそもそも、広義の意味でヒトを死なせる行いは、「安楽死」「尊厳死」「医師幇助自殺」と区別される。

日本で言うところの「尊厳死」とは、それをやらなければ死に至ることが予想される治療や措置を差し控えることによって患者を死なせることを指す。
それに対して「安楽死」は、医師が薬物を注射して患者を死なせることをいう。
「医師幇助自殺」は、自殺目的で使用することを前提に医師が処方した薬物を患者自身が飲んで死ぬことや、点滴のストッパーを患者が外すことを指す。安楽死と尊厳死の中間にあると理解すれば良いだろうか。

概念を理解するために文字ってすごい便利だな。これは、文字によって定義された概念と、概念が先にあるものとで違うだろうけど。

飽きずに読めそうだけど、一気に摂取すると身体に悪いタイプでもあるから、ゆっくり読み進めていきます。またね〜!

240306 (水)

お昼の12時丁度に、インドカレー屋に入りました。
研究所から急峻な坂を下った先にあるそのお店は、自転車をほとんどこがなくっても行けるから、頭を空っぽにして足を運べる良い立地です。昨年末の水曜日と金曜日はだいたいここでお昼をとっていましたが、体重がカレーと相性が良いのかめきめと自我を出してきたので、ココ最近は足を遠のけていたのです。今日は朝起きた時からお腹が少し凹んでいて、今だ!と身体がエールをおくっていました。
ランチセットは780円。カレーとナンとサラダとドリンクがついています。少し寒いから中辛にしてドリンクはホットのチャイにしました。
お昼時だからスーツのサラリーマンが座敷を占領しています。それに、高いところに備え付けられたテレビからは、同級生に98万円を支払った小学生のニュースが流れています。目の前のカウンターには、よく分からない名前のお酒がズラっと並んでいます。異国と本国の空気が混じり合う中で食べる日替わりカレーは、おふくろの味の対極にあって、やっぱり最高でした。

チャイをちびちび飲みながら本を読んでいると、遠くの席から呼び出しベルの音が鳴りました。隣に座った来たばかりのサラリーマンが、「ん??」とキョロキョロしながら左右を見渡します。わかるわかる。私もそれ、やったことあるよ。

後ろ髪を引かれながらもお代を支払ってお店を出ると、自転車をとめなかった方の階段に水たまりが残っていました。子供心が残っていたならば、靴がびしょびしょになるのを厭わずに足を踏み入れたかもしれませんが、今日はただ、石川啄木よろしくぢっとみました。
一欠片の雲が水面を渡って行きました。

240307(木)

後輩と同期と3人で飲みに行った。
とても楽しかった。
一生仲良くして欲しい。

桜が咲き始めた

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