墓泥棒と失われた女神
日が沈むまではどうにも外に出られない。日中にテニスをしたら脚が真っ赤に日焼けして、2週間後に皮がピリピリと剥けたことがトラウマになっている、というのも理由の一つ。
身体の中に大きな壺があって、何もしていないとただただ疲労だけがぽたぽたと満たされていく。それが八割くらいまで溜まると頭の中のフィラメントが点灯して、私を部屋の外へと誘導する。その道の先は決まって映画館だった。
立川のタカシマヤに付随するキノシネマへは自転車でだいたい20分。映画料金はいつの間にか値上げしていて2000円が相場になっていたけれど、会員になっておけば半額で見れたりする。そのお得に浮いたお金の分でレモネードを買ったりする。
思いつきで観てみたイタリア映画はストーリーがあまりなくて、汚れた白シャツの墓泥棒が、お宝を見つけたり、言葉を勉強したり、タバコを吸ったりしていた。出所して地元に帰る電車の中でうたた寝をしていると、切符確認の車掌さんに、「すまないが、夢の最後はどうなるか分からないよ」と起こされる。
男はどうやら居なくなった恋人を探しているらしい。たぶんもう亡くなっているんだろうな。だから彼が探しているのはそのイデアで、たぶん墓の遺品ばかりが結果として見つかってくる。
自分が映画を観れていると感じる時は、だいたい意識のほとんどがスクリーンに明け渡されていて、脳細胞の余った部分は思い出を乱雑に拾い上げている。意識を手放しているのに自分の手の及ばないところで映像が進み、目の奥にはまた違う光景が映る。それは、睡眠とよく似ている。夢の最後は覚えていない。
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