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想像の中の未来の景観
240222(木)
糸を抜く。
朝の8:45に予約していたけれど、一応午前休をとっておいた。「片方の糸抜けちゃって〜」ってヘラヘラしながら伝えて口の中を少し見せる。「いいよいいよ〜」と先生もヘラヘラ笑いながらもう片方の残った糸を抜いてもらう。
そのお互いの間に挟まっている空気がとても穏やかで心地よい。人間はそれぞれが纏うオーラみたいなものがあると思う。そのオーラは広がりと温度を持っていて、適切な距離で温度差がちいさいひとほど仲良くなれる、そんな気がする。
この先生にとっては私は数ある患者の1人だけれど、私はなんだかこの人がとても好きになってしまった。もう1回くらいなら親知らずが生えてきてもいい。
240223(金)
卒業旅行初日。9人で鳥羽に向かう。
2台の車でも良かったけれど、あえての3台で。全体の集合は9:30にして、私は後輩と2人で1時間早く出る。ちょっと早めに向かってモーニングを食べようと画策した。伊勢自動車道(かな?たぶん)が事故で若干混んでいて途中のサービスエリアで迂回してきた残りのメンバーに追いつかれる。さすがに笑った。1時間のアドバンテージは御在所SAの坦々麺ぶんにしかならなかった。
伊勢神宮になんの看板も立っていないけれど、人が何人か集まっていた場所に行ったら、謎の御神岩みたいな石があった。同期に「これ何?」って聞かれたから適当に「君が代のコケ」って言ったら過去一後輩に刺さってた。やったね。
カップルの女性の方が彼氏の後ろ姿を動画にずっとおさめていた。インスタでたまに流れてくるやつだけれど、実世界で目にしたのは初めてだ。
リールだろうか?vlogだろうか?
3歩後ろを歩いて彼氏について行く姿。江戸の価値観が、形を変えずに精神だけ変えて現代に再現される。人間の営みがクルクルと廻っているイメージが想像させられる。
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240224(土)
四日市港ポートビルに登った。
下調べせずその場の看板で見つけて向かった場所だったけれど、思い返すとこの旅行で1番面白かったかもしれない。四方に向いた展望台には望遠鏡が設置されていた。東にはセントレアに佇むピカチュウ柄の飛行機が、北には栄の観覧車が、あと2箇所は雪が残った山々が。夜にはきっと工場の点々とした明滅が。
今では無い、数時間後とか半年後とか、未来の景色を想像させる景色に惹かれる。完成しない横浜駅とかサグラダファミリアとか。そういう景色を自分の中に留めておくことは連綿とした生活の糧になる。
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240225(日)
ダウ90000の単独チケットを獲得した。3月末の公演。千秋楽と初日は難しいと思って中日にしたけれど、それでも席番をみるにギリギリだった様子。
40秒くらいで完売だったらしいけど、それでも40秒は猶予があるのかと安堵する。そういうタイムスケールで我々の戦争は終わる。
そのまま、『落下の解剖学』を観に、家から20分くらいの映画館に向かう。
最初のcmでリュック・ベッソンの新作が出ることを知る。こういう情報って、なかなか映画館に来てないと得られないからありがたい。これだけで映画館に来た元をとった気分になる。
落下の解剖学、とても凄まじい映画だった。たぶん、凄いとか面白いとか興味深いとか、そういう単語はひとつも当てはまらなくて、「凄まじい」が(それでもまだ遠いながらも)1番近い表現だと思う。
「何が起きたのか」という事実を探るためではなく、個々人が有している仮説を補強するために言葉を積み重ねていく。積み重なった言葉は一本の芯の通ったストーリーになる。どれも現場の状況証拠から僅かにずれているが、それは無視される。
妻は「彼の死は自殺だ。なぜなら、彼は精神が不安定で...」と言い
検事は「彼女が彼を殺した。なぜなら、2人は喧嘩続きで...」と言う。
なぜなら、なぜなら、なぜなら。
なぜなら、という言葉の前段まではそれが主観であったのに、根拠を積み重ねることでそれがどんどん客観になってしまう。あなたが本当に主張したいのは、本心で言いたいことは、いったいなんなの?
この気持ち悪さに無理やり理屈をつけるならば、誰も本心で喋っていないという一言で済むのかもしれない。本当に真実を追うのであれば、こんなロジックにはならない。帰無仮説を棄却する方針をとるべきだから。本心ではなく建前のみで進められるある種の劇中劇。
一方で、被疑者の息子は「理解したい」と執拗に言い、最終的に「パパが自殺するのは、なんとなく信じられる」という言葉選びをする。前者2組に比べて、如何に真摯なことか。そして、だからこそ、前者2組の自己の利益を優先する様が浮き彫りになり、それがあまりにグロテスクで、辛くて悲しくて恐ろしい。
「俺のリズムがどんどん乱される」というセリフが、かつての恋人に言われた言葉にとても似ていて、映画を観ながらフラッシュバックに襲われた。
240226(月)
花粉でダウン。
240227(火)
お昼ご飯を食べようと、よくいくラーメン屋に自転車を走らせる。ウメモドキの赤い実がまだ少し残っていた。これから開花の準備を始めるみたいだ。
ラーメン屋に入る手前にあるお好み焼き屋の看板をいつも見ている。初見のお店に入るのは好きだけれど、隣に好きなラーメンがあるせいでいつも素通りしてしまう。
今日も素通りか…と思ったけれど、嬉しいことにラーメン屋が満席&待ち席もいっぱいだったから、意気揚々と隣のお好み焼き屋に入店した。入口の看板には「ぶり大根あるよ」と書かれていてお好み焼きから離れた食べ物を提示する勇気に惹かれる。
カウンター席に通される。お好み焼き定食のメニューが並んでいる。豚玉かなぁと思ったけれど、店のおばあちゃんの「今日寒いから!寒いから!!」の攻撃で豚鍋定食に決められた。よく見たら目の前の鉄板の上に雑誌が積まれている。
さては、お好み焼き、無いな??
240228(水)
後輩2人とシーシャを吸いにいく。
シーシャ、“吐く”という行為の方がメインな気もするが、“吸う”方で表現するのはなぜだろう。行為の始点に焦点が当てられるのだろうか。
久しぶりに行ったお店は内装が落ち着きながらもキラキラしていて、暗い店内を赤青緑のランタンが照らすのは水中に居るような気持ちだった。
カードゲームをしながら近況報告をする。が、ゲームに夢中になり、3時間ほど居座った。
日付が変わる頃に駅前のラーメンを食べて帰宅する。自転車で帰る予定だったけれど、どうにも面倒くさくて後輩の車で送って貰う。
助手席に座って窓から外を眺めると、街灯が夜を渡っていく姿が目に宿る。それがあまりに励みになる。
240229(木)
予約注文していた『路傍のフジイ』の2巻が端末に届いた。電子書籍を予約しておく意味は消費者としては全くない(と思う)。だけれども、どうせ買うなら予約しておくべきだろうとも考えている。これは、予約数が増えると初動に敏感な書店が広告をうってくれるから...みたいな気持ちとして無理やり言語化できるが、本心は全然そんなことではない。
「何って、、予約しただけだが??」
である。
「クセになってんだよね、音を殺して予約するの。」
でもある。
そんなことより、『路傍のフジイ』が相変わらず最高。背中をバシッと叩く音と、卒アルをパタンと閉じる音をパラフレーズさせる才能。極まる。
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