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デンジは俺だ(チェンソーマン二部152話)

 

デンジは俺だ

 デンジは俺、これを馬鹿にしたやつは何も分かってない。お前にはチェンソーマンは無理だよ。人並みの生活でもしてろ。
あと、チェンソーマン二部って面白くねぇよな。

[第152話]チェンソーマン 第二部 - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+ (shonenjumpplus.com)

そもそもデンジポチタって何?ポチタとデンジは何を望んでいるのか~???という話から始めるか

デンジは一部で人並みの幸せを知り、二部では社会に入った高校生。なんか社会に馴染めない。俺の自己投影先。
ポチタはデンジの夢を見たがる存在。デンジは今どんな夢を見るん?って問うてくる読者みたいな存在。週間デンジの第一のファン。デンジじゃないパターンの読者かも

ポチタは単にデンジの夢やらが見たいけど、今のデンジにそんなものなんてないよ。あるわけがねぇ、デンジにあるのはその場の欲求でその場の欲求を夢にする。まぁそれができるのがデンジの弱いけど強ぇとこだ。
最近それができてねぇ。イッパンジョウシキとやらのせいで

一部が終わってデンジが人並みの人生を手に入れることができてようやく気付けた。

「この人生、なんか楽しく無くね?」

好きに暴れることもできねぇ、守るもんがあって好きに動けねぇ…
チェンソーマンになって何も考えずに暴れられたら楽しいだろうなァ

デンジは人並みの人生を得てようやく手に入れたいはっきりとした答えは、

この人生とやらはどうやら俺には合わねぇ

チェンソーマンになれば自由だ。ヒーロー?知らねぇ。チェンソーマンになれば俺が好きにできる。周りの評価って別に、モテればそれ以外どうでもいい。褒めらたくてやってるわけでもねぇ。好きにやって滅茶苦茶になろうぜ

ということで、夢を持たずにヤルコトってのだけをやるのは退屈過ぎた。


で、ようやく本題だけど、なんで俺はデンジと言っていてそれが分からねぇ奴はダメなのか、は

デンジは社会に適合できなかった存在だから

社会がつまらねぇ、社会に適合できねぇ。そんなことに葛藤を覚えて苛立って暴れたい。だから俺はデンジなんだ。

デンジは人並みの生活とやらで一度社会に入ることでそこからの解放を知った。
つまりチェンソーマンになって暴れるということを。
政府の犬だった存在が社会に仇を成す存在になっても俺が暴れて気持ち良くなれればサイコーだぜというのは最高にパンクで好きだ。

何もかもから解き放たれて、全部が滅茶苦茶になって壊れてデンジが暴れる姿を。俺という存在はチェンソーマンになって暴れたいんだ。

それが俺とデンジの望みなんだ。

デンジの憧れた人並みの生活、あれってパワーの胸を揉んだくらい虚しくてつまらなくて、致命的になんか違った。
人並みの生活は制約を産むだけで面白くない。

暴れたい、なんかスカッとするし全部を無茶苦茶にしてくれ。
自暴自棄なのが気持ちいい。目先の事しかわからねぇ、後のことなんて知らねぇ

だからチェンソーマン二部は面白いはずがない。

だってそもそもデンジが楽しそうにしていない。制約の中に生きるデンジが面白くなさそうにしてるんだから面白い道理がない。面白いって言ってる奴らは雰囲気でしか物事を見れてないんじゃねぇの?お前はポチタ側でもなければデンジにもなれねぇ奴だ。無。
二部、これからず~~~~~~~~~~~っとチェンソーマンになって暴れてくれ。面白くなくていい。なぜなら暴れてることに意味があるから。デンジが楽しいのが一番なんだ。

だからこんなの本誌連載できるはずはねぇ。だってこんなの面白くないということがテーマじゃねぇか。

誰かの為じゃねぇ、自分の為にチェンソーマンになれ。マキマの為とかナユタの為にチェンソーマンになるとかならないとかウザすぎる。マキマの為の夢とかナユタの為の夢も結局無理だ。もうどっかいけよ。俺は俺の為に暴れて俺の為の夢を掴む。

そういうことだから俺以外チェンソーマンじゃない。帰れチェンソーマンもどきども

第152話

ハングリー拗らせて吐きそうな人生

「止まない雨はない」より先に その傘をくれよ
あれが欲しい これが欲しい 全て欲しい ただ虚しい

幸せになりたい 楽して生きていたい
全部滅茶苦茶にしたい 何もかも消し去りたい


KICK BACK

いや、米津玄師はかなりデンジかもしれない。しかも俺よりもずっとチェンソーマンかもしれない。

まとめ

俺=デンジ=米津玄師


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