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【日記】裸の私もご覧よ 2022.12.04

 所詮一般人の日記とはいえインターネットに放流している訳なので多少なりとも誰かに見て欲しい気持ちはある。

それと同時に、誰かに見られることへの居心地の悪さというのもこれも確かに存在する。

以前ツイートが100ちょっとRTされたことがある。
バズった という程のものではないが、1人1人の拡散(RT)が積み重なって知らないところまで行ってしまった時に少し怖くなったのを覚えている。

「あいつこんな事言うてましたよ」とかどういうモチベーションで僕のツイートをRTしたのかは知らないが、自分の人格やネットにおけるキャラみたいな文脈を離れてテキストだけが衆目に晒されることに気分が悪くなってツイートを消してしまった。

特に何かを揶揄したりマイナスな表現のツイートではなかったので、恐らく善意による拡散だったのだろうと推測は出来るが、こんなに簡単にボタンひとつで他者の発言を切り取って拡散する術に対しての違和感はどうしても拭えない。

発言に責任は伴うけど、拡散にも何かしらの責任を伴わせたい

ちょっと前に閣僚の誰かが飲み会で「死刑のハンコを押すだけの仕事」と言って辞任に追い込まれてたが、普通に可哀想~と思った。

みんな会話の中で「死ね」とか「殺すぞ」とか(勿論冗談だけど)口にする。
でもそれを切り取ったら「男が他人に殺害予告」となり得る。
極端な例ではあるけどね。

そこを「普段あいつはこういう奴であの時はこんなノリで」といったところをすっ飛ばして言動だけが一人歩きさせられるなんてたまったもんじゃない。

どこからともなく流れてきた誰とも知らぬ他人の(文面上)不適切な言動に怒り、拡散し、罵詈雑言を浴びせる。

それでスカッとするのかもしれないけど
今あなたが叩いてるそれはあくまで一部分だけの虚像ではないだろうか。

少し話が逸れたけど、現代インターネットで有名になろう、とか目立とう、とした時に一番の正攻法が「バズる」とか「拡散」なのすごくつまんない。

自分もたまたま流れてきたツイートから関心を持ってフォロー、というごく自然な流れとしてやっているけど、その為に言葉を宙に打ち上げる勇気はあんまり無い。

私の裸とセットでこの日記を見てほしい。



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