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インターネットの下には死体が埋まっている【小説】


「お前、半年ROMれって知ってるか?」
「え?なんだよ急に」


サトウから不意に投げ掛けられた問いに、眉を顰めつつ頭を巡らせる。半年ROMれ。いつどこで使われた言葉かすらもわからない。Read Only Memory、データの読み出し専用の半導体メモリなら古い電子機器で使われたと聞いたがそれのことだろうか。


「ええ……メモリのことじゃないのか?」
「不正解。ヤマダはもっと講義に出るべきだな」
「うるせえ、あの教授得意じゃないんだよ高圧的で」


弁当箱からひっつかんだプチトマトを、喉の奥から這い上がってきた不快感と一緒に飲み込む。口の中に広がる弾け飛んだトマトの残り香。

西暦2124年。120年以上も前から人口に膾炙され続けたインターネットにも歴史は積もるもので、今やインターネット史が世界史日本史と同じ枠組みで括られようとしていた。

半年ROMれとは、2010年代以降に圧倒的な速度で普及した近代文明の遺産であり、ARグラスの前身ともいえるスマートフォンすら存在していない2000年代初頭の大手掲示板にて現れたスラングらしい。「半年書き込みしないで見てろ」という意味で、由来はさっき挙げたメモリだという。


「なんだよ、半分合ってんじゃん」
「2000年代の文化史の基礎知識だぞ?来週の試験範囲」
「は!?早く言ってくれよ」
「講義出てない方が悪い」


サトウは少し離れた保温弁当箱へ手を伸ばしつつ、まあARグラスでカンニングしなかったのは偉いけどな、と笑う。湯気を纏う4個目の唐揚げが彼の口へ消えた。


「なんでROMる必要があったんだろうな」
「ヒント、インターネット有害文書規制法が施行されたのは2068年」

「………ああ、なるほど。治安維持システムがなかった訳か」


インターネット有害文書規制法、通称ネット治安維持法は、AIを利用してネット上の悪意のある書き込みを発見し、書き込み主への迅速で適当な罰則を与えることが容認されるきっかけになった法だ。

気の知れた友人との喧嘩に近い軽度な悪意であったり、悪意はないが誤解を招く文脈だったりなどの場合は自動訂正もしくは削除と警告で済むが、殺人予告などの明確で強い悪意は永久的な書き込み禁止措置をされるという。ARグラスと自動接続して観測する脳波次第ではその措置が「書き込み禁止」ではなく、「結果的に書き込み禁止になる」────つまり殺害まで至ることも許される。

法案が議論されていた当初は色々と騒ぎになったらしく、「治安維持法」という通称が付いているのもその時の批判の名残だが、もうそれも40年近く前の話だ。産まれた時にはもうあった法律だし、実際書き込みの際にそこまでの悪意を持ったことがない。だから罰則も警告と修正程度しか受けたことがなかった。AIだって精度が悪い訳じゃない。インターネットから悪意が無くなって、いつどこを見ても綺麗になった。

また、同時に複数人と会話のできるSNSでは、その場の話の流れを把握するために話の発端となった書き込みを自動で参照してくれることなどもできる。一部からは吐き出す先が無くなりストレスが増大することを危惧された愚痴等も、他人から見ることができず一定時間経過で削除するような環境を整えれば、悪意の判断による規制も一定水準まで緩和できる。
もはや恐ろしいほど手厚いシステムに、批判する人間は目に見えて減少したという。未だ完全統制社会やらディストピアなどと叫ぶ人もいるにはいるが、国家に対する反抗的な主張で肝心のインターネットを封鎖されてしまっているのでその声はずっと小さい。


「まあ、ROMれって言われてた奴らの大半が空気読めねえ奴らだったらしいけど。暴言なら早いうちに普通にアカウント停止されてたらしいしな」
「でもそれ手動な訳だろ?大変だな」


焼きたてに近い温度の卵焼きを口へ放る。気紛れに舞い落ちた桜の花弁が、弁当箱のポテトサラダに彩りを添えた。
時代が移ろおうとも伝統は継がれていく。桜の木の下で他愛ない話をして晩冬の微睡みに浸るのも悪くない。思えば、あのスラングが生まれた時期は桜の咲く季節が今より随分と遅かったと聞く。夏は今より涼しかったし、冬には東京でも雪が降ったらしい。
缶チューハイのプルタブを開け一息に呷る。100年も前から貧乏人の飲み物だと揶揄されて久しい代物。大量生産の安物らしく食道に軽い痛みを伴う熱が走った。

手当たり次第食材を一つずつ嚥下しながら見上げた桜が、酷く鮮やかに自己主張をしている。不意に、灼熱した生殖の幻覚させる後光と表現した人がいたな、と一篇の掌編小説を思い出した。


「『桜の樹の下には屍体が埋まっている!』」
「なんだ突然、物騒なこと言って」
「梶井基次郎。知らんのか」
「古文は詳しくないんだよ」
「たった200年前だぞ?」


桜の花が美しいのは、死体が埋まっているからならば。
ネット上が綺麗になったのも、やはり死体のおかげなのだろう。


「……ビッグブラザーはあなたを見ている、のかもしれないな」
「何の話だよ、さっきから?」

訝しげなサトウの視線を受けつつ、素知らぬふりをして箸でハンバーグを掴んだ。

「140年前の話さ」


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