2021.9.10 テロよりもなによりも


日記です。誕生日直前に、当日にするにはヤ~な感じの話をします。


今月に入ってから、ニュースで「9.11同時多発テロから20年」という文言を見聞きするようになった。毎年同時多発テロ関連のニュースを見ると、もうそんな時期か~と思う。別にこういった世界情勢の話に強い関心があるわけではなく(関心が全くないわけでもない)、私は2001年9月11日の生まれだからだ。

この日付というものは思ったよりも人生に結びついている。日付のみならず年まで同じなので、かなりの確率で学校の先生(特に社会科)に「へ~あの時に生まれた子供がもうこんな大きくなったんだ」という目で見られる。覚えられやすいし、一回り以上年上の人に対する雑談の話題提供としてそれなりに使い勝手がいいときもあるからまあまあ活用してるんだけど。


まあそんな感じで、年長者とそれなりに関わりを持ちつつ生きていく過程で話題にしやすかったのもあって、事件後に物心がついた世代の中でも特別印象的なものとして事件の存在があった。

だからかなり小さい頃から積極的に調べることが多かった。書籍からテレビのドキュメンタリー、インターネットまで幅広く。映画は怖くて手は伸ばせてないけど、いずれ伸びると思う。幼少期のみならず、高校の現代史のタイミングでも放課後に友人と動画サイトを漁った記憶がある。小さい頃の一時期は何便が何時にどこへ行って、みたいな詳細な情報も覚えてしまっていた。今はもう忘れたけども。

幼少期にショッキングな話題を摂取してトラウマになった、というのはありがちな話だが、私のそれは社会科の課題でこの事件を調べる過程で見た、「フォーリングマン」という有名な画像にある。調べればすぐ出てくるだろうけど、貿易センタービルの上層階から、頭から地上へ落ちていく途中の人間の写真である。文脈も何も知らなければ自殺の写真かな、となるだけなのだが、生憎どういう経緯でどういうことがあってどこから飛び降りたのか、というのを知ってしまっていた。だからこそ、長いことあの写真が脳裏に焼き付いて離れない。


私が産まれた日は、大勢の人が亡くなった日でもある。私が能天気に喜んでいる時、誰かが喪った親族や友人を想って涙している。喜ぶ権利も悲しむ権利も等しくあっていいはず、なのだが、なんとなく、本当に意味もなく、こんなに全力で喜んじゃっていいのかしら、と思うタイミングがある。

誕生日ケーキを食べながら見るニュースで黙祷する人が映って興が冷めるのと同じように、弔っている人がいる中で喜んでいいのかな、と思う、そんな時が、たまに訪れる。喜んでいいし、悲しんでいいはずなんだけど、あの落ちていく人の写真が頭に浮かんで消えない、そんな一瞬がある。

私だけではなく、例えば2011年3月11日に生まれたような人とかはそんなことを考える時が訪れるのかもしれない。世界が一気に変わった、そんな事件や事故や災害と、偶然因縁があった人間。


でもそれはそれとして、誕生日のことを話題として消費する自分もいる。多分アメリカという遠い場所で起こったことなのもあると思うが、震災であっても同じことを言うのだろうなとも思う。矛盾する自分を抱えながら、20回目の誕生日を迎えようとしている。

本当はテロよりもなによりも、自分を優先したいんだけどね。この日ぐらいは。


あと6分になっちゃった。明日も文字が書けますように。


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