「神霊葬斂都市ミナト」第3話

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第2話

第3話
「これが、ミナトの神葬ですか」
「そうだよ」

 ビルの屋上にしゃがみ込む私に見向きもせず、烏丸は細い煙草に火を付ける。

「どうだい、初めてのお見送りは」
「……きっついですね」

 ギリギリと鎖で締め上げられるような痛みを発する胃を抑えながら呻く。なぜ烏丸が平然と紫煙を燻らせているのか理解できない。彼はくつくつと笑うと、ベルトに下げていた灰皿にタバコを叩いた。
 天眼の巫女は神の死に際を見届ける。天眼と呼ばれる特異の力を宿し、それによって人間よりもはるかに高位な存在である神を見るのだ。神を見ること、死を見ること。二つの禁忌を犯す行為が、負担にならないはずがない。
 有り体に言ってしまえば、私はあの神が受けた苦痛を共に感じていた。

「ほら、顔やばいよ」
「ありがとうございます」

 烏丸がポケットティッシュを差し出してくる。私はありがたくそれを受け取り、鼻と口から流れ出した血を拭う。。幸い既に出血は止まっていたようで、拭えばある程度おさまった。

「えっと、後で……」
「別にいいよ。さっき駅前で貰ったやつだし」

 律儀だねぇ、と烏丸は肩をすくめる。あまり他人に借りを作りたくないだけなのだが、わざわざ言わない。それよりも、この後どうするべきかが気掛かりだった。町に来た直後に神葬が始まって、未だに今後のことは何も知らされていない。

「とりあえず、委員会に報告しに行こう」
「あっ、はい。……委員会?」

 よろめきつつ立ち上がり、首を傾げる。さっきも何度か言われていたけれど、委員会とはなんだろう。

「委員会はこの町の裏の番人さ。龍神と我々の仲立ちをして、都市全体の管理も行なっている。ま、ミナトを牛耳ってる奴らだと思ってればいい」
「ええっ?」

 良いかげんな説明だけをして、烏丸はビルの中へと続くドアへ向かう。疑問は尽きないが、彼についていく以外の選択肢はない。私は頬を叩いて後を追いかけた。

「軽く町を見てもらったけどさ」

 ドアの向こうには古びたエレベーターがあった。烏丸は呼び出しボタンを三回叩きながら言う。

「あれはあくまで、ミナトの表の顔だからね」
「表?」

 チン、と小さな音と共にケージがやってくる。烏丸と共に乗り込むと、彼は階数ボタンを叩く。三階、七階、一階、五階。遊んでいるのかと思ったけれど、彼は笑っているわけでもない。

「表の町では、みんな一般人としての営みを送ってる。サラリーマンをしていたり、学生を謳歌していたり、あるいは主婦として子育てをしていたり」
「あれは、演技というわけじゃないんですね」
「どっちも彼らの生活さ。しっかりと分けているだけ。だから君も、わざわざ表の人間に裏の生活を聞いたりしちゃだめだよ」

 ヒキガエルの土地神が現れる前の、活気に満ちた町を思い出す。あそこで笑っていた人々は確かに日常を送っていた。

「実際、この町に住む奴らの大半は碌でもない神祓いだ。けどまあ、多少はカタギさんもいる。表で暮らしているぶんには、そこの区別を付けることはない」
「それは、何故なんです?」

 死期を告げられた神がやってくるのは唐突だ。常日頃から備えておけば、より迅速に神葬を行うことができる。けれどミナトは立派な街並みを作り、都市兵装をそれに偽装してまで“普通の町”を作り上げている。
 ようやく動き出したエレベーターの中で、烏丸は笑った。

「何故って。あからさまに武器を構えて殺しにかかってくるような土地に、死にたくない奴がやってくるわけないじゃないか」

 その言葉にはっとする。
 あの土地神も、死ぬためにミナトへやってきたわけではない。むしろその逆だ。龍神によって死を宣告され、それを覆すためやってきたのだ。だから、あれほど神葬に抵抗していたのだ。
 神であっても死は避けたい。叶うならば、いつまでも生きながらえたい。だからこそここへやって来て、自身の運命に争うのだ。
 エレベーターは降り続ける。既に一階を通り過ぎ、地下へと潜っていた。ドアの上部にある階数表示には、B9と記されていた。

「さ、ここがミナトの裏側――委員会だよ」

 ドアが開く。現れたのは、曇り一つない真っ白な廊下だった。
 烏丸は軽い足取りで進み出す。私もおっかなびっくり後へ続く。

「ミナト神霊葬斂委員会は独立中立の行政機関だ。大小問わずこの町へやってくる神を管理し、その神葬を執行する。実際に葬るのは、町に存在する大小様々な組織だけどね。さっきの交差点の大昇降機とか道路の電磁カタパルトなんかの都市兵装を管理しているのも委員会だ」

 白い廊下はいくつもの分岐があり、無数のドアが壁に並んでいた。エレベーターも頻繁に見つかるあたり、町中のエレベーターからここへつながっているのかも知れない。

「都市の根幹に関わっているだけあって、その実態は固く秘匿されている。全容を知っている者はそういない。存在だけは大抵の奴が知っているけどね。いわば、公然の秘密組織だ」

 烏丸の歩みが止まる。彼の前には一つの扉があった。それまでの無機質な白い扉ではなく、重厚な木製のものだった。真鍮のドアノブが付いており、龍の形を模ったドアノッカーもある。
 烏丸はノックすることもなく、遠慮なく扉を開く。奥には、絨毯敷きの薄暗い部屋が待ち構えていた。

「お見送りご苦労様でした、雨野芽衣さん」
「うぇおっ!?」

 部屋の中央に置かれた執務机の向こうから名前を呼ばれて驚く。いそいそと部屋の中に入ると、そこに座っている綺麗な女の人の姿があらわになった。艶やかな黒髪を垂らし、背筋を伸ばして椅子についている。

「あ、えと……」
「私のことは中尸ちゅうしとお呼びください」

 名前が分からず口篭っていると、向こうから名前を告げられた。しかし、どう考えても偽名だ。ちらりと烏丸の方を見ると、彼は口許を緩めて肩を上げた。

「委員会に限らず、多くの神祓いは自身の真名を明かしません。どうかご容赦を」
「ああ、そういうことでしたか」

 その割に私の名前は向こうに知られているというのも奇妙な話である気もするけれど。神霊、妖、魑魅魍魎の中には名前を奪って悪さをしてくる者も多いと聞く。それらへの対抗策としては珍しくもないのだろう。
 加えて、先ほどの烏丸の言葉も思い出す。ミナトに暮らす人々にとって、こちらは裏の日常だ。本名を明かさず偽名を使うことも、区切りの一つとし機能しているのだろう。

「ともあれ、着任早々に大型神霊の葬斂を見届けていただきありがとうございました」

 中尸は椅子から立ち上がり、ほぼ直角に腰を折る。

「い、いえ。天眼の巫女の務めですから」

 私の方が慌ててしまって、両手を振る。中尸は再び背筋をピンと伸ばすと、眼鏡の奥の切れ長な瞳をこちらに向けた。

「天眼の巫女は委員会直属となります。今後は私が指示を送りますので、こちらを常に携帯してください」
「うぉえっ!? う、うわぁ……スマホだ。本物だ!」

 中尸は机に置いていたスマートフォンをこちらへ差し出してくる。生まれて初めての電子機器に興奮しながら、落として壊さないよう慎重に受け取る。これで私もイケイケな女子の仲間入りというわけだ。

「しばらくは烏丸さんと共に行動して、お務めに慣れていただく予定です。町での動き方なども、彼に聞いてください」
「分かりました」

 ここまでやって来た時のエレベーターもそうだが、ミナトの町には色々な仕掛けがあるはずだ。そのあたりの使い方はさっぱり分からないし、覚えるのも大変そうだ。スマホすら使いこなせるか不安なのだから、尚更だ。

「あとは……」

 今後は上司となる中尸との顔合わせ、連絡手段であるスマホの授受。それ以外に要件がないか、中尸は宙に視線を泳がせる。

「雨野さんの今後の住まいですね」
「あっ、そういえば」

 言われて今更思い出す。こう見えて私もうら若き女子なので、流石に烏丸と寝食を共にするというのも抵抗がある。中尸はそのあたりもきちんと配慮してくれているようで、わざわざ住居も別に用意してくれているようだった。

「そちらの案内は、雨野さんと同年代の女性に頼んでいます。もうすぐ迎えにくると思いますが……」

 中尸がそう言った、ちょうどその時。控えめにドアが叩かれる。中尸が入室の許可を出すと、蝶番が軋んでドアが開いた。

「こんにちはー」
「おぶぅえっ!?」

 少し気の抜けた挨拶と共に入ってきた女の子を見て、私は思わず声をあげる。彼女は明るく染めた長い髪を揺らし、クリクリとした丸い瞳を不思議そうに瞬かせる。向こうからしたら、初対面の女が急に挙動不審な動きをしたように見えるだろう。
 どこからどう見ても立派なギャルな彼女は肩にスクールバッグを掛け、手に飲みかけのプラカップを持っている。
 私がミナトの駅前にやって来た時、お洒落なカフェで友達と話していた女子高生だ。それも、先ほどの神葬の際に蛇祓衆の一人として活動していた人ではない子。高校の夏服姿だったのを、今は白と赤の巫女装束に替えている。つまり、3人で喋っていた彼女たちのうち、二人は神祓いということだ。しかもそれぞれ別の組織に所属している。

「あれ? どっかで会ったことある?」
「あや、いや……。その、よろしく……」

 表の日常と、裏の日常は区切られる。私は何も言えず、気持ち悪い音を口から漏らした。ギャルは優しくキラキラした笑顔を浮かべて、ネイルの可愛い手を差し出してきた。

「おっけおっけ。あたし、こっちだと千代姫っていうの。表の名前は上に上がったら教えるから。とりまよろしくね!」
「あわ、はひ」

 おずおずと手を握り返すと、千代姫はにっこりと笑う。同年代とは思えないほど眩しい笑みに、私が昇天しそうだった。

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