私の明るいおばあちゃん
2020.7.11
おばあちゃんが天国に旅立ちました。
これは、
コロナのせいで元気なおばあちゃんに会えなかった...と悲しくて悔しくてどうしようもなく涙が止まらなかった時、
おばあちゃんの明るかった性格を思い、「そうじゃなくて、コロナだったのに最後会えたのは奇跡だったよね。」と前向きに捉えることができたという話です。
遡ること昨年11月。
おばあちゃんは自宅で転倒し骨折して手術のため入院しました。
術後は複数のリハビリ施設を転々としながら、回復に努めていました。
今年のお正月、実家に帰った際におばあちゃんのリハビリ施設の面会に連れて行ってもらいました。
おばあちゃんは元気そうで楽しく会話ができました。
しかし、この面会の日が元気なおばあちゃんと会えた最後の日となってしまうのです。
3月。
再び面会に行こうと予定を立てていたけれどコロナが流行り始めていました。
第二子を授かっていた私を父がすごく心配していたので面会は断念しました。
4月。
わたしは無事女の子を出産しました。
おばあちゃんは一時は自宅に戻るまで回復したものの、再び転倒。入院や転院を繰り返しているうちに病気を患ってしまいました。
5月と6月はコロナの影響で病院や施設の面会禁止が続いていました。
7月。
面会が再開したので7月8日に父と母に車を出してもらい久しぶりにおばあちゃんの面会に行くことができました。
だけど、その時には病気がかなり進んでいておばあちゃんは驚くほど弱ってしまっていました。声をかけたら軽く頷いてくれたけど、声も出せないし瞼も開けられない状態でした。会話はできませんでした。持参したおばあちゃんが好きな印象派の絵画や赤ちゃんの写真も見てもらうことはできませんでした。
それが最期の面会となりました。
7月11日、おばあちゃんは安らかに息を引き取りました。
実は、7月11日にまた面会に行こうと予定していたんです。しかし東京のコロナ感染者が連日200人超えと続き、7月10日から再び面会禁止になってしまいました。
その禁止が決まったのが7月9日でした。
わたしはコロナさえなければ、5月や6月にまだきっと会話ができた状態のおばあちゃんと会えてたのに。何故、コロナなんかのせいで、、、、、とひたすら悔やんでいました。
ですが天国に旅立ってしまった今、改めて考えると、7月8日に会えたことってすごく奇跡だったなと思うんです。
7月1日に面会再開した時は、まさか10日間で再び面会禁止に戻ってしまうなんて誰も予測できませんでした。
車で片道2〜3時間の病院まで行くために、不定休の父と母の予定が合わなければ病院にすら行けてませんでした。
保育園に通う長男が体調不良で呼び出し、もしくは園児の感染で保育園が休園していたら、それもまた面会は叶わなかったはずなんです。
だから、この状況下で亡くなる3日前におばあちゃんとわたしが最後に会えたことって「奇跡」だったのだと思うのです。
前向きで明るくて周りの人をすぐ笑顔にしちゃうようなわたしのおばあちゃん。
きっとおばあちゃんも最後にわたしと会えたことを喜んでくれていると信じて・・・。
今のこの時代も、これからどんな時代が訪れようと、人は生きているだけで素晴らしい。人生は楽しんだもの勝ち。
わたしもおばあちゃんの明るい性格を見習って物事を悲観せず、何事も前向きに捉えていつも元気にニコニコ笑って生きていたいと思います。
このお話は以上です。
おばあちゃんの明るい性格の話や、わたしがおばあちゃんに伝えたかった話など、まだ書きたいことがたくさんあります。
また時間が空いたら綴りたいと思います。
拙い文章、最後まで読んでくれてありがとうございました。
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