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【エッセイ】君への大巧は拙なるが若し(誕生日後編)

 今ここに断言する。他に誇れる人生を一切送っていないと。誰もが憧憬の念を抱く人間とは、常に精神的向上、肉体的鍛錬、学問的精進を怠らない圧倒的覚悟を持った人間である。

 集中力の欠如と生半可な努力を引き連れて生きる私の廃れた人生に、褒められるべき点などは万に一つも無いのだ。暇さえあれば惰眠を貪り、時折目を覚ませばひたすらに米を貪る。貪るだけ貪った挙げ句、日が射さぬ埃だらけの部屋で誇りある自分を夢想し、ただほくそ笑む。この世で一番無駄な日々といつまでも苦闘しているのだ。出来る事は、紙とペンを使った駄文的長文の作成のみ。

 もうすぐ梅雨だ。窓を常時開放し、この汗と涙と埃で汚れた部屋が洗い流されるようにする。その先は夏だ。火薬として花火玉に混ざり、私は綺麗に打ち上げられる。夏の夜空が濁ること間違いない。

 春眠暁を覚えず、小人閑居して不善をなし、荒唐無稽の強弁で断機の戒めを全力で解く。口数だけ多く、まるで品性がない。立て板にりんごジュースで、べたつきだけを残して去って行く。私はそういう男だ。


 ……と、まぁ、相も変わらず卑屈かつ陰鬱な自己憐憫を終えたところで、前回の結果発表をする。

(前回はこれだ↓)

 数多の苦難を乗り越え、遂に実行された私とメガネ君の作戦(作戦名:バースデーブレイク)だったが、控えめに言って大差での勝利、もしくは大いなる成功だったといって差し支えないだろう。

 根暗さんを深い暗闇に落とすべく私が用意した三つのプレゼント、そして純粋無垢な心で根暗さんを祝うべくメガネ君が手にした一つのプレゼント。各プレゼントは役割を全うし、収まるべき所に落ち着いた。

────さて、それでは根暗さんへ披露したプレゼントを紹介する。

 まず、メガネ君は紅茶とハーブティーのティーバッグを買ってきた。

「根暗さんは、確かハーブティーにはまっている」

 その一言を静かに残して、彼は渋谷での買い物を終えた。洗練された行動である。私が渋谷で与えた3時間のうち、彼は1時間未満で買い物を終え、残りは喫茶でコーヒーを啜った。
 祝いの品の購入早きこと風の如し。コーヒーを啜って時間を潰すこと山の如し。表情は朴念仁だが、その行動は非常に利発的である。巧遅は拙速に如かないことを理解し、兵法を忠実に体現するその姿は孫子の再来にも思えた。

「渋谷でのコーヒーもまた乙なものですな」

 どうやら渋谷に臆病風を吹かしていたメガネ君は、この短時間で人間として一段階進化したようである。日進月歩で成長をとげる彼は、大人の階段を着実に昇っていく。私は下から見上げることしかできない……。

───対する私は、スクランブル交差点で一人呟いていた。

「分からぬ」

 自らがメガネ君を野に放っておきながら、いざ自分が荒野に放たれると足が震え出す。何を買えば良いか分からない。
 しかも3つだ。根暗さんを騙すためとはいえ、一応彼女へのプレゼントの体で買わねばならない。つまりそれは、幾星霜も冴えない非モテを全うしてきた男臭さのエリートが、女性へ贈りものをするということだ。無機質な人混みと無情なる人目の死線を突破し、渋谷というダンジョンから的確に洒脱な品を探し出さねばならない。

 そもそも、私から貰わずとも根暗さんは両手に抱えきれぬほどのプレゼントを誕生日に獲得するだろう。私が得体の知れぬものを贈ったとして、それはすぐさまゴミ箱の暗闇へ消えていく。となると、私がしようとしている事は身銭を切るに等しい。もっと端的に分かりやすく纏めてしまえば……、無駄だ。

 スクランブル交差点を、覚束ない足で歩いていた私は、信号がもうすぐ赤になることに気がついた。はっとして小走りになる。しかし、周りにはそんな人間がいなかった。おそらく渋谷にいる人間は迷いが無いのだろう。彼らには目的地がある。約束をしている人がいる。長い時間をかけて無意味で愚かな振る舞いを実演する人間は、人混みにすら紛れてはいけないのだ。

 群衆から離れるべく、109へ逃げ込む。入り口でしゃがみ込み、私は心の中で叫ぶ。どうしてこうなった。一体これは誰のせいだ。

───あ……。私のせいだな。

 色々と諦めをつけて、潔くプレゼントを買うと心に決めた。私は成長した。今、大人の階段を見つけたのだ。まだ昇ろうとは思っていない。

 あてもなく歩いていると、垢抜けた雑貨屋を見つけた。店頭に飾られたクマのハンカチと目が合う。 

 そのクマは考えることを放棄し、自ら餌を獲得しに行く野生の心を失った顔をしていた。ハンカチの左上にはひらがなで‘くま’とプリントされている。何と健気だろうと思った。いまさら自然に処していくことなど確実にできないにも拘わらず、未だ野原に座っているのだ。熊としての野心を喪失し、クマとしてイラストにされ、くまと名付けられる。それでも強く生きている彼を、私は買うべきだと考えた。
 全体的に洒落たデザインだった。健気から生まれるお洒落を知る。

 その雑貨屋で購入したブックカバーと砂時計も一緒に袋で包む。このプレゼントが渡った場合、根暗さんは健気なクマとゆったりとした時間を楽しむことになるだろう。


 再び歩き始めると珍しい店を見つけた。ドレッシング選手権と書かれている。私ははっとした。根暗さんは自らの美貌に磨きをかけるべく、ダイエットに励んでいたことを思い出す。

 金賞を受賞した無添加たまねぎドレッシングと、銀賞受賞のナッツドレッシングを手に取る。これを渡せば、根暗さんは野菜を摂取しやすくなるだろう。ただでさえ細い体が爪楊枝のごとく瘦せこける様を想像し、私はドレッシングの購入を決めた。これは絶対に美味しい。普通に喜ばせてしまいそうだ。

 その店ではプレゼントの包装などはしてもらえなかったため、自宅に持ち帰り、自らプレゼントっぽく包むことにした。


 あと一つ、プレゼントを見つけなければいけなかった。しかし、現在私が手にしているものは雑貨とドレッシング。このままだと、やはり気の利いた贈り物を女性に渡す事ができない残念な男の烙印を押されてしまう。
 私は意を決して、何やら上品な匂いの漂う高そうなブランド店に足を踏み入れることにした。Aesopと書かれているが読めなかったので、気にせずに進む。

「何かお探しですか」

 しまった。声を掛けられてしまった。常人なら声を掛けることができないほどの負のオーラを体から噴射していたのだが、ここの店員は負のオーラ用のガスマスクを常時装備しているようだ。

「あ……。いや……」

「どなたかへのプレゼントをお探しでしょうか」

「ふぇ、そ、そうだ……! 女性用の何かを」

「彼女様でしょうか」

「違う。断じて。あ、でも、そうだな……。女性用のプレゼントってのは別に変わらないのだから……」

 はきはきと喋る良い匂いの店員を前に、私の声はどんどん小さくなる。

「すみません。よく聞こえなかったのでもう一度お願いできますか」

「───Siriみたいな事を言うのだな」

「はい?」

「な、なんでもいいので一つください」

 かくして、私は渋谷で白昼堂々ハンドスプレーを買った。買う前に匂いを嗅がせてもらったが、鼻が詰まっていたので分からない。まぁ、きっと良い匂いだろう。私はAesopという読めないブランド店にいたSiriみたいな店員を信じる。


────こうして、4つのプレゼントが揃った。

 メガネ君は4つのプレゼントを見て言う。

「根暗さんが喜ぶといいですな」

 私はすぐさま否定した。

「違う。我々が決行するのは誕生日の破壊だ。喜ばせるなど言語道断」

「なんにせよ、当日が楽しみですぞ」

 ニヤニヤと笑うメガネ君は、薄気味悪さで私を不安にさせた。

 そうして1週間後、我々は再び渋谷に集った。もちろん根暗さんもいた。目の前にメガネ君と根暗さんが揃ったのを見て、私は感慨に耽る。この場面を迎えるまで非常に長い道のりであった。震える足で大人の階段を発見し、雑貨屋でクマと出会い、Aesopの店員と対峙したあの悪戦苦闘は、今この時の為にある。

 我々は予約していたカフェで、遂に作戦を決行した。根暗さんの前に四つのプレゼントを順番に披露していく。紅茶とハーブティ-のティーバッグ、ハンカチとブックカバーと砂時計の雑貨類、ドレッシング、ハンドスプレー、それぞれ4種類のプレゼントがテーブルに並んだ。

「すごい、これ全部用意したんだ」

「あぁ。もちろんだ。貴様はどれがメガネ君のプレゼントか分かるまい」

「え、うん。紅茶とハーブティーだと思う」

「え……」

「ドレッシングだとしたら悲しいかな。同期へ1つだけ誕生日プレゼント送るってなった時に、ドレッシングってのはさすがに無いんじゃないかな。まぁ、3つ買う内の1つだったら分かるけど」

「……」

「雑貨は嬉しいけど、意図が見えないというか。私のことを考えて買うプレゼントにしてはちょっと思考が整理されてないかなぁ」

「……」

「Aesopは無いよ。メガネ君がAesopの店員と話してハンドスプレー買ってくるのが、全く想像できない」

「……」

 Aesopは、イソップと読む事をここで初めて知った。しかし、そんな事はどうでもいい状況になってしまった。

「うん! 紅茶とハーブティーだね!」

 私は事態が大きく翻る事を願った。この状況からの一発逆転を狙って、引き下がらずに粘ってみる。もう大敗の影に飲まれつつある事を理解しながら。

「……そうか。では今一度聞こう。ファイナルアンサーは?」

「うーん。ファイナルアンサーはAesopのハンドスプレーにしてあげようか」

「いや、紅茶とハーブティーだと言ってただろう」

「すんなり当てられちゃったらつまんないんでしょ?  どうせ、私を少し困らせてその様子を楽しむつもりだったんだろうし。じゃあ仕方ないから引っかかってあげるね! ハンドスプレーで!」

「くっ……」

 無邪気に笑う根暗さんは、いとも簡単に容赦なくバースデーブレイクを無に帰した。我々の努力はやはり無駄であったと思い知らされる。呆気ない幕切れであった。メガネ君はニヤニヤ笑っていた。落胆した私を見て、根暗さんは一言溢した。

「でも、嬉しい。ありがとう」

───バースデーブレイクは、私の酔狂が際立つだけで終わった。


  作戦が全て終了し、根暗さんが帰った後、メガネ君の家の前で反省会を催した。メガネ君が口を開いた。

「してやられましたな」

「ふん。失敗に見せただけだ」

「……と言いますと?」

「ハンカチと一緒に入れたブックカバーは、私が使っているものと同じやつだ。貴様らは何回か見ている。ドレッシングを包んだ紙袋は、私が以前、貴様らに焼き菓子を作って渡したときに使ったのと同じだ。Aesopなんてメガネ君に寄せる気があれば買わないだろう……。本当に騙そうと思っていたら、もう少し綿密に計画するだろうな」

 私は空を見上げ、今日に思いを馳せる。

「根暗は楽しそうだったな。バースデーブレイクは成功だと言える」

 メガネ君は終始ニヤニヤしている。そして何かを見通しているかのように喋り始めた。

「本当は何をあげたら喜んでくれるのか分からなくて、自分が何か買ったとしても喜んで貰える自信も無くて……。その迷いと弱気を隠すための作戦だったのだろう?」

「……言っておけばいい。だとしても、それが根暗にバレなかったのだから、作戦成功だ」

 メガネ君はいつもよりさらに優しい眼差しを私へ向けた。私はメガネ君と目が合わないように顔を背ける。メガネ君は、私の態度など構わずにそのまま話し続けた。

「素直にいつもありがとう、これからもよろしくと言えば良かったのではないだろうか」

「私にもプライドがある。いくら捻くれた人間に見られようと、単純におめでとうなどとは言わない」

メガネ君は溜息をついた。見たことないほどにあからさまな溜息を一つ、私に見せつけた。

「我々はどんどん大人になっていきますな。社会人としての昇進や、想い人との結婚もすぐそこに迫っている。そう考えると、根暗さんは大切な友達だけど、いつまで一緒にいれるかも分からなくて。それが切ないからせめて今回だけは一生懸命に祝って、喜んでほしかったのだろう?」

「別にあんなやつは、吐いて捨てるような間柄だ。素直に祝うに値しない」

メガネ君は小さく笑って、私の顔を覗き込んだ。

「本当ですかな? 確かに根暗さんは急に冷たい時があるし、本当は何を考えているかなど煙に巻いて教えてくれない。利己的なところも少しはありますな。それでも、彼女の魅力をいくつもネタにして、いつもいつも彼女と喋る時間をものすごく楽しみにして、何よりも今日一番楽しそうにしていたのは……。誰だろうか?」

「……珍しく長めに喋るんだな」

自室のドアを開け、メガネ君は中に入って行く。ドアが閉まる直前、最後に一言だけ残した。

「臆病な自尊心と尊大な羞恥心ですな」

 私は目を閉じて、自分の世界に入った。暗闇に大人の階段が浮かび上がっている。階段の遥か上方に、メガネ君と根暗さんがいた。地面に坐す私へ手を振っている。私は、彼らのように階段を上ることはできない。きっと目の前にある階段を素通りして、山奥へと入っていくだろう。駄文的長文の作成を極めるために。

 それでも、彼らが私のことを覚えていてくれるのなら、きっとこのバースデーブレイクには意味があったのだと思う。何年か後に振り返った時、昔、変な奴が同期にいたと記憶に残ってくれれば幸いだ。いつかまたどこかで私と出会った時に、彼らは言ってくれるだろうか。

「その声は、我が友、伊藤ではないか?」

 私の方は未来永劫二人を覚えている。メガネ君と根暗さんがあまりにも好きだ。

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