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20210923学習ノート『福祉国家亡国論』社会福祉の行き過ぎは自由社会の根底を破壊する

20210923『福祉国家亡国論』
社会保障関係費はどんどん増大する。
昭和30年度988億円だったのが、昭和36年度には2,466億円。
2.5倍になった。
それなのに、国民からは多すぎると言う声は聞かれない。
それどころかまだ足りないと言うのだ。
こうした声は、社会主義陣営から起こっていたが、保守党内からも聞かれるようになってきた。

こうした現象について、「社会保障ムード」などという言葉を使う自民党の社会保障調査会長もいた。

そして、その政治家は、このようなことを言った。

生活保護について、従来の考え方(生命だけつなげばよいという考え)を脱皮し、生存より生活へと頭を切り替えなくてはならない。人道的文化的に頭の切り替えが必要である。生存より生活への曙光が見えて、人道的文化的の理念が芽を出しかけている。一般の文化水準の進歩に急速なる追い付きが、そして追い越しが必要である。

◆◆◆

世帯の収入が多いとその分は補助金額から差し引かれる。
だから働く意欲がなくなっていく。
それなら勤労者の分を増やせば良いというのです。
これまで生命をつなぐことが目的だった生活保護は、文化的な生活を送ることができる分を補助する。
という考えに切り替えなくてはならない。

というのです。。。

「ゆりかごから墓場まで」
に、イギリスはすでに悩んでいた。
それなのに、なぜ日本はそれを理想とするのか。
社会保障の行き過ぎは自由社会の根底を破壊するのだ。

私たちはリスクに備える必要がある。
その備えは、貯蓄や保険という自分の責任によるものと、他人の負担によるものがある。
他人の負担によるものには、強権力によるものがあり、国家は権力によって国民から税金を徴収する。
それによって国民から購買力を奪い、生活に困ったものを助けようというのである。

社会保障の正体は、誰かが得るためには誰かが与えなければならず、それが慈善的ではなく強制的に行われること。
不足を補うだけでよいのに。

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