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20240602学習ノート『三つのインタナショナルの歴史』第30章-1 革命からの3段階

20240602
『三つのインタナショナルの歴史』
第30章 ソヴェト制度

 10月革命は、他のすべての革命とはっきりと違っていた。スターリンは、この10月革命について、「人類の歴史において、古い資本主義の世界から新しい社会主義の世界への根本的な転換が起こったことを意味している」と述べている。新政府は、最初は「ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国」と呼ばれたが、1922年、「ソヴェト社会主義共和国同盟」と名付けられた。ロシア革命は、政治、経済、社会の全体にわたり、すべての主要な制度を根本から再組織した。当然ロシア正教会も政治から切り離された。
 ソヴェト憲法に定められていたのは、例えば「ソ同盟の全権力は、都市と農村の勤労者に属し、勤労者代表のソヴェトによって代表される」「土地、その鉱物資源、水、森林、工場、製造所、鉱山、鉄道、水運と航空、銀行、交通機関、大規模な国営の農業企業(国営農場、機械=トラクター配給所など)、さらに地方自治体の企業、および都市と産業地帯の住宅施設は、国有財産すなわち全人民のものである」「ソ同盟での労働は、『働かざるものは食うべからず』の原則にもとづき、健全な全市民にとって義務であり、名誉である。ソ同盟での労働のモットーは『各人はその能力に応じて、各人はその労働に応じて』という社会主義の原則である」「社会主義は『各人からはその能力に応じて、各人にはその必要に応じて』を基本目標とする共産主義の第一段階である」というようなものである。特に、人間による人間の搾取は禁止された。

 革命から、ソヴェト社会は3つの段階を進んだ。
 第1段階は、1918年から1921年の初期までである。このころは「戦時共産主義」すなわち国内戦と干渉戦の時期である。工業と農業は破壊され尽くし、ソヴェト政権は内外の敵軍に対して戦うという、人民にとって最も厳しい苦難の時期であった。
 第2段階は、1921年からの「新経済政策」(ネップ)である。この時期には、ある一定の条件のもとでではあったが、生産に刺激が与えられ、農民のために「自由市場」が作られた。だが、外国貿易と「産業の管制高知」は政府が握り続けた。管制高知とは、国家が国内経済を把握するために占領した地点である。
 第3段階は、1927年ごろからで、この頃になるとすべての産業が国営工業と集団農業によって行われるようになり、ついに完全な社会主義が完成したのである。そして、階級のない社会、さらに高度な段階、すなわち共産主義に移り始めるのであった。

 このあいだ、世界の資本家たちは、右翼社会民主主義の支援を受けて、ソヴェトについて歪んだ情報を流したり罵ったりしていた。資本主義を守るために、一番最初にできた社会主義共和国の真相を世界の労働者に知らせないようにし、反ソ・イデオロギーの防壁を築こうとした。その運動は、大文筆家産業にまで発展した。特にアメリカでは、彼らの運動は成功してしまっており、人民はソヴェトについての事実を全く知らない。他方、プロレタリア勢力が進んだ世界では、ソ同盟のために素晴らしい成果を上げた。世界の民主主義と平和の将来はソ同盟の運命と結びついていると悟ったのである。ソ同盟に対してどんな態度を取るかは、プロレタリア国際主義を測る最高の物差しであった。

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