見出し画像

韓国小説2冊め、『となりのヨンヒさん』

おつまみ本もセットで借りて、韓国気分を盛り上げながら読んだ、2冊め、『ヨンヒさん』。

不思議な世界だった。『ウニョン先生』に続いて、ちょっとシュールな、変わった世界に生きる人々…。
でもこれも『ウニョン先生』と共通して、そこに生きる人々は人間らしい。人間らしい人々が生きる変わった世界…。
生々しさのあるSFというか?

印象的だったのは、海に人の顔が映る話(「馬山沖」)、長命種の人の話(「養子縁組」)、別の星に移住した人が姉と会う話(「帰宅」)、姉が反乱分子だった人の話(「開花」)、など。
どの話も、しんしんと染み渡るような静けさがあり、その静けさに耳を傾けるみたいに、空気感に引き込まれた。
『ウニョン先生』と同じく短編連作であるこれも、やっぱり少しずつ読んで、読むたびに、その静けさに、少しずつ触れる感じ。

全体に、しんとした孤独感があった。
主人公は何かを思っているし、動いてもいるんだけど、宇宙にたった一人のような、淋しさ、孤独感があって。
この淡々とした進み方にそう感じるのかな。
そしてふと、宇宙にたった一人かのように淡々と進んでいく中で、人と触れ合った瞬間みたいなものが、ふっと現れたり。現れて終わったり。

…とてもSF的なのかも。
この、広い宇宙の中ではちっぽけな人間が、ちっぽけだけど、様々なことを感じながら生きていて、それは、そんなに人と分かち合えることでもなくて、たった一人みたいにただ存在していて、ふっと触れ合うこともある。そんな感覚って。

そして、それが交差して"触れ合った"時の描写は、やっぱり力強いものがあって、そこが、ここまで2冊だけ読んだ韓国小説の、共通点のように感じた。
こちらの方は、儚い土台の上の力強さが、グラデーションみたいに、違う色合いでサッと引かれるような感じかな…。

何だろうね。こういう音楽ありそう。小説っていうのが、そもそも、そういうものなのかも。
遠い宇宙からの光を眺めるような?
私も、アクリルごしに姉と再会したみたいに、この本の文章を、つまりこの文章の描き出してる世界を、瞬間、わずかに、キャッチしてるのかもね。


…感想を述べようとすると瞑想的になっちゃうような一冊でしたよ!!

この本、手もとに置いておきたい気もする…。
他に翻訳作品はないのかな? また翻訳されたら読んでみたい。
一冊ずつ惹かれていく、韓国小説の世界!!


↓ちょっとシリアスな(政治的な)話

いくつか、韓国の歴史を直接的に思わせる設定のものがあった。
やっぱり少し緊張しながら読んで…… 私の立場から言えることはないな、と思う。
「帰宅」のような話を、ただ感動できる立場でもない気がする、私は。ただ、そのひたひたと迫る静けさに撃たれ、引き込まれた、とだけは言える。

「開花」のような話を……今、この国に暮らす私は、どう思えばいいのか。
この主人公が姉を迷惑がる気持ちはよくわかる気がする、けど…… 
これは、ガラッと変わった後の世界からの語りだ。
…私は、そういう変化を知らない。個人的なことでだったら、あったとも言えるけれど。
国単位では、"どうしても変わらない無力感"に、ここ何年も、ずっとうなされ続けているような感覚がある。
しかも、その感覚は、感染症の問題も加わって、悪化し続けている。
この現実こそが悪夢だ、と思うような、この一年以上だった。

こういう話がフィクションとして書かれていることを……"ガラッと変わった後の世界"からの語りがあることを……どうしても、うらやむ気持ちがあった。
私が生きているのは、この「開花」の世界でなく、こんなふうにこの話を眺めている側の世界だ。
もう、この話の感想ってより、私の受け止め方になっちゃうけど。
まあそんなことを思ったりした……


↓印象的だった部分を引用して、終わります。


地球を愛することはできなかった。黒い夜空に流れる雲すら、私が大気圏に閉じ込められていることを思い起こさせて耐えがたい。
基盤がすなわち宇宙ならば、そのどこかには隙間があるはずだ。基盤が人生なら、この傷は細いひびとして残るだろう。世の中を耐える術は一つではない。   (「宇宙流」)


私は周囲を見回し、彼ら一人一人がその瞬間にそれぞれ違う海を見ていることを、霧がかかったように曇っていた昨日までの馬山沖と、私が将来見る馬山沖が、決して同じではないことを、いつか必ず、今、私の周りにいるすべての人たちに、海の中からそうして向かい合うだろうということを、身にしみて悟った。

唐突に笑いがこみ上げてきた。私はあえぎながら、眼を閉じたまま泣き笑いを始めた。腹を抱えてしゃがみ込み、吐き出すみたいに笑いを吐き出した。
のどが痛くてそれ以上笑えなくなると、涙をふいて立ち上がり、鉄条網の間でゆらゆらしている海を、しばらく眺めた。
私は、痛む親知らずを抜く時の爽快感とは違う、かさぶたが取れた後のかすかな傷痕に感じる冷たい安らぎに満たされた。   (「馬山沖」)


突然、耐えがたいほど強烈なめまいに襲われた。どこの世界も同じだ。虚しさが、鋭く胸をえぐった。
いつだって、他の誰かがその空席を埋めていた。

私は頭を抱え、声にならない悲鳴を上げた。どこかに、母の生きている世界があるなら?
それはガラスの壁に映る影にすぎないのだ。所長の顔が答えた。我々は自分の世界の中で暮らすことを学ばねばなりません。

私は、いつも誰かが空席を埋めるのだと思った。しかしこの世界のルトベンは、誰の誰かの空席を埋めるために作品を書いたのではないはずだ。
いつも、誰かは生きていると思うと、ふと目頭が熱くなった。   (「アリスとのティータイム」)


↑…他の話もだったけど… この、ぐっと凝縮された空気感が好きでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?