映画闇芝居 ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り

よく来たな。おれは逆噴射聡一郎ではない。

最近はこれでめしを食っているわけではないのでコンスタントにnoteの方をサボっていたが、なんでも言語化して残していくのが未来のおれにとっては都合がよかんべ、ということで今年度からはもう少しこっちの方に力を入れていくことにする。・・・ことにしたい。まあほどほどに。

ということでタイトルの通り今回は映画「ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り」を見てきたので感想を書くわよというお話です。
いうて見たのはもう二週間くらい前なんだが。

まず、おれと「ダンジョンズ&ドラゴンズ」(以下D&D)の関わりについて軽く記しておきたい。
「D&D」はおまえたちのようなアウトサイドの住人でもご存知なように世界初のTRPGだ。
テーブルトーク・ロールプレイングゲームについていちいち注釈を入れてやるほどおれは親切な男ではない。てめえで勝手に想像しろ・・・というと冗談の通じないインターネットキッズが怒り出すので親切な男であるところのおれはウィキペディアのリンクを貼ってあげるのだ。

おれが初めて触れたD&Dはもちろんホビージャパンの赤箱・・・ではなく、現在ではクラシックD&Dに分類される第5版のルールサイクロペディア邦訳版、メディアワークスの電撃ゲーム文庫から刊行されたものだ。

この辺まじで知識がないと何言ってんだか1ミリもわからんと思うので簡単に解説しておく。
TRPGというものは人気があって長く遊ばれるようになるほど定期的にルールや世界観の見直しを含めたアップデートが為される。基本的にTRPGはアナログな書物であるため、アップデートと言っても現代のデジタルゲーム環境のようにパッチをダウンロードするわけにはいかない。
本そのものを新しく出版するわけだ。なので第n版のように呼ばれることになる。
例えば本邦ではTRPG界イチ有名な「クトゥルフ神話TRPG(原題Call of Cthulhu)」の最新版は第7版だ。ざっくり言えば7回の大型パッチがあたったという理解で構うまい。
日本の独自タイトルでいうと「ソードワールド」は「2.5」で第3版。「ダブルクロス」も「3rd Edition」で第3版である。他にも版が変わり内容が大きく変化したタイトルは列挙に暇がないっつーか多すぎてわからん。

ほんでD&Dの最新版は現在第5版がウィザーズ・オブ・ザ・コースト社から刊行されている。
ん? 第5版?
おかしくね? おれの初D&Dも第5版なんじゃねえのかよ?

まーじでわかりにくい話で申し訳ないんだがこれはおれじゃなくてTSRとウィザーズ・オブ・ザ・コーストが悪いので勘弁してほしい。

そもD&Dには基礎、初級ルールとしての「Dungeons&Dragons Basic Set」(あるいはクラシックD&D)と拡張、上級ルールに相当する「Advanced Dungeons&Dragons」の二つが存在していた。
アドバンスドD&Dはそもそも増えすぎたD&Dのサプリメント(追加ルール。DLCみたいなもんだと思ってくれ)を整理するため「初心者用のD&D」と「上級者用のアドバンスド」というかたちで作られたらしいんだが、実はこの二種は互換性がなく、それぞれが別個の製品として展開されていたそうなんである。
97年にD&Dの発売元であったTSR社がウィザーズ・オブ・ザ・コースト社に買収されると、ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社はこのへんややこしくてメンドクセーしムダ!と思ったのかどうか知らんがベーシックセットとアドバンズドの統合を決定する。
こうして発売されたのが第3版(Dungeons&Dragons 3rd Edition)だ。
なぜ3版かというと、アドバンズドD&Dは最新が2版だったためだ。つまりどちらかというとベーシックがアドバンズドに吸収される形で統合されたのだということになるのだろう。

以上がスーパーざっくりとしたD&Dの基本概要であるが、おれは実のところメディアワークス版のクラシックしか知らないD&D弱者なので間違いやツッコミがあれば識者諸兄のご指摘を賜りたい。よろしくね。

で、そろそろ映画の話になる・・・かもしれないんだけど。
お前ここまで全部読んだのか? 映画と関係ないから読まなくていいぞ。

映画「ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り」は現在の第5版を原作としている(はず)
「フォーゴトン・レルム」と呼ばれる世界を舞台とした所謂剣と魔法のファンタジー世界である。

余談は続くがおれの知っていたクラシックD&Dは「ミスタラ」という世界が舞台だったので、おれは「フォーゴトン・レルム」とはまるきりはじめましてだった。
「ミスタラ」はかのカプコンが作ったアーケードのベルトスクロールアクション「D&Dタワーオブドゥーム」「D&Dシャドウオーバーザミスタラ」の舞台でもあり、馴染みのあるアーケードゲーマーも多いことだろう。

D&Dとデジタルゲームの関わりは結構深く、フォーゴトン・レルムを舞台としたD&D原作のゲームタイトルも多数発売されている。
スーファミにも移植された「アイ・オブ・ザ・ビホルダー」や、「バルダーズ・ゲート」などは聞き覚えのある人もいるんじゃないかな。
さらにウィザーズ・オブ・ザ・コーストといえばの超巨大TCG「マジック・ザ・ギャザリング」にはD&Dコラボの拡張エキスパンション「フォーゴトン・レルム探訪(Adventures in the Forgotten Realms)」があり、その名の通りフォーゴトン・レルム、要するに第5版とのコラボレーションということだろう。

ここまで約2300字ほど費やしてD&Dについて説明したわけだが、「ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り」が優れている点は、こうしたD&Dについての知識を一切持ち合わせる必要なく楽しめることがまずひとつだ。
ここまでの説明は必要なかったわけだな。読まなくていいってさっき書いただろ。おれは書きたかったので書いた。

注意喚起する。ここからおれは容赦なくネタバレをする。
日本の配給元はあまりこの映画に力を入れていないので今どんどん上映回数が減っている。まもなく上映そのものも終わるだろう。
見に行くなら今だ。まだこの映画を見ていないお前におれが言えることはひとつしかない。
「メチャクチャおもしれーからぼーっとしてねえでさっさと見に行け!!」

この映画はおれにとってオールタイム・ベストになりうる一本である。




ボンクラは去ったな。続ける。

この映画の巧みな点は数多くあるが、ひとつはとにかく説明がうまいというところ。「この世界の名はフォーゴトン・レルムであり神々が創造してウンチャラナンヤラ~~」みたいなダルい導入がなく、まずいきなり極寒の地、ゴッツい馬車でこれまた大要塞のごとくゴツくてイカつい牢獄に運ばれるオークの囚人という、エルダースクロールズ5スカイリムを連想させるような実にカッコイイ映像から始まる。
そこでオークは主人公であるエドガンとホルガの二人がいる牢にブチ込まれるのだ。エドガンは下手くそな編み物をしながらベラベラとオークに軽口を叩き、ホルガは一心不乱に芋を食う。そしてオークはエドガンの忠告を無視してホルガに猥雑な言葉を投げかけ、一撃でKOされるわけだが、この時点でもうクリス・パイン演じるエドガンは口が達者で軽薄そうな男。ミシェル・ロドリゲス演ずるホルガは無骨で屈強な女戦士・・・ということが説明セリフひとつなくわかるのである。
この後に場面はエドガンとホルガの恩赦を巡る簡易裁判へと移る。ここでエドガンは時間稼ぎとして自分の過去をペラペラと喋るわけだが、このシーンもエドガンがじつに多弁な男であるという「キャラ立て」とエドガンとホルガが何者であり、過去に何があって収監されたかを物語の流れに沿う形であざやかに説明してのける、実に見事な脚本術なのだ。
この裁判のシーンではなんかエルフっぽい女、服を着たドラゴンみたいなやつ(D&Dではドラゴンボーンというらしい)、鳥人間など多様な亜人種族が登場し、冒頭のオークを含めて一気にファンタジー濃度が上がっていく。
いろんな種族がいて~など言葉で説明するのではなく直接登場させることで百聞は一見に如かず!映像の力でわからせるのである。

そしてエドガンとホルガは脱獄し、投獄されている間に生き別れになったエドガンの娘に会いに行くのだが・・・と長々あらすじを説明してもあまり意味がないので省く。

色々あってエドガンは地下世界「アンダーダーク」のダンジョン、宿敵フォージが領主を務める「ネヴァーウインター」でのシティアドベンチャーに挑むのだが、この冒険が本当に素晴らしく面白い。

実際のところタイトルの「アウトローたち」は言い過ぎで、「負け犬」というくらいがふさわしい。
主人公エドガンは元々正義の集団である「ハーパース」にいたのだが、実益を求めない組織なので生活が困窮し、盗みを働くようになってしまう。そのせいでエドガンは妻を亡くし、娘を奪われる。

相棒のホルガは戦士の一族を裏切って小さい種族の男(D&Dにはハーフリングとノームという二種の小人種族がいて、どっちなのかはわからない)と駆け落ちするが、投獄の間に男に捨てられてしまう。
(この後でホルガが失恋を引っ張らず、気持ちを切り替える所が良いし、リュート弾いて歌で励ますエドガンもいい)

エドガンの盗賊仲間だったサイモンは魔法使いだが、魔法をセコいことにしか使えず、自分に自信を持てない。

もう一人の仲間ドリックはモンスターと人間のハーフという出自を持つ。しかし性格はまっすぐだしちゃんと力を持っているんだが、そもそも彼女の住む森がフォージに脅かされており、それに抗えるほどの英雄ではない。

選ばれた特別な人間ではない、どちらかといえば敗者の側にいる寄せ集めの集団が再起を賭けて困難なミッションに挑む。
もうこの時点で映画として最高でしかないだろ。

こうして集まったパーティが楽しい珍道中を繰り広げることになるんだが、それが本当に楽しいんだよな。
ギャグはスパスパと切れ味がよくてムダに引っ張らないし(なのでテンポがいい)死体への尋問パートとかめちゃくだらなくて笑っちゃうし、お助けNPCとして登場する聖騎士ゼンクの四角四面な堅物ぶりに手を焼くエドガンとのやり取りもよい。
アンダーダークのダンジョン攻略も、パーティの誰一人として「高い知性を感知してを吸い取る化け物」に反応されない(つまり全員バカというギャグ)というはじまりからしておもしろいし、ゼンクのかっこいい大立ち回りに突如現れる太りすぎた猫みたいな体型のおそらく過去に類を見ないであろうデブのドラゴン(でもめちゃデカくてめちゃ強い)から逃げ回るパートもアトラクション感覚に楽しい。
ドリックが代わる代わる様々な動物に変身しつつ城の兵士から逃げ回るシーンなど「一体どうやって撮影したのこれェ」と言いたい。

ネヴァーウィンターの城に忍び込む件も知恵と工夫を凝らしてるところがスゲエいいし、ハイサンゲームでディスプレイサービースト、ミミック、ゼラチナスキューブといったモンスターとの戦いもスリリングだ。

レッドウィザード(悪の魔術師)ソフィーナとの最終決戦も逆転の方法は気が利いてていいし、序盤にチラッと出てきたアイテムとかキャラクターの成長が伏線になってるのも良かった。
ゴチゴチに殴りまくるアウルベアもスーパー暴力!って感じでとてもいい。
アウルベア最高!

けれどもおれはそうしたギミックの楽しさやギャグのおもしろさもさることながら、パーティ個々の成長や関係性の深まりを丹念に描いたシナリオこそ素晴らしいとおもう。

ラスト、エドガンは遂に手に入れた復活の護符をホルガに使う。
ここまでの話の中で既にエドガンは「娘キーラにとっての『母親』はホルガである」ことに気付いている。それを後押しするように幼いキーラの手を引くホルガの場面が次々にフラッシュバックし、おれは落涙するわけだが、エドガンもまた、「愛した女」ではなく「娘の母」のために秘宝を捧げるのだ。

ホルガもまた愛した男と別れている。
エドガンの喪失とホルガのそれは生きている者と死者で比べようもない断絶があるが、似たような痛みを抱えた二人であると言えなくもない。
そんな間柄であってもエドガンとホルガには傷の舐め合いめいた雰囲気はないし、男女の仲が深まる様子もない。だが二人は共にキーラの両親なのだ。
性愛を基準にした愛情がなくとも家族にはなれる。ある意味ではありがちな疑似家族モノっぽくみえるが、疑似じゃなくてエドガンとホルガ、キーラはれっきとした家族なのだ。
そこにあるのは友愛であり、尊重。リスペクトである。

おれはこの映画のパーティを繋ぐものというのは互いをかけがえのないものとして尊重する精神であると思っている。
サイモンはドリックが好きなのだが、なぜかというとドリックが自信に満ちているからだ。サイモンは偉大な魔法使いを祖先に持つが、ついついそんな祖先と自分を比較して己を卑下してしまう。
そんなサイモンを励まし続けるのがエドガンだ。もちろんエドガンにしてみればサイモンがやってくれなければ話が始まらないという気持ちもあるだろう。だが、結局目的達成のために必要なだけならおそらく今の時点でサイモンより優れた魔法使いを探すことはできるはずだ。でもエドガンはそうしなかった。
サイモンができるやつだと信じて、彼を尊重し、思いを託したのだ。

当のエドガンもはっきり言えば戦闘巧者の英雄でもないし、人格的にも全然ゼンクに及ばない。もっといえば盗賊に身をやつしたし酒にも溺れかけたダメ人間だ。
だがエドガンはみんなを信じることができる。
エドガンは自分で言っているように「作戦を考える人」だ。司令塔というか軍師というかまあ一言で言えば頭が切れるわけだが、切れ者にありがちな冷徹さはない。エドガンは作戦のコマとして仲間を当てはめるのではなく、「お前はこれができるはずだからこの役をやってくれ」と作戦を立てる。

そこにあるのが信頼であり、尊重だ。

実は他者を一番尊重しているのがゼンクで、彼はエドガン一行の誰のことも卑下せず、エドガンの善性を信頼している。
そしてエドガンもエドガンらしいやり方で皆を信頼し、尊重する。

こうした他者との関わり合いの中でエドガンは皆の信頼と娘の愛情を取り戻し、ホルガは愛した男との決別を受け入れ、サイモンは自分を肯定し、ドリックは人間(サイモン)に信頼を寄せるようになる。
皆が劇的ではないが少しずつ確実に成長し、物語は終わる。

ことさらドラマチックに、大仰にではなく、繊細に丁寧にそれぞれの感情を描き、ダイナミックではないが堅実に成長と変化を描き切る素晴らしい作劇。
これが良く出来た脚本でなくてなんだっていうんだよ。おれは感動した。

見ている2時間半ひとときも退屈することないハチャメチャで楽しいアクション。安易に人をコケにしたりバカにすることなくスマートに笑いを取れる上品さ。丁寧で自然なキャラクターの感情の流れ。

日本の配給は「意外とおもしろい」などど腰の引けたことを言うな!!
この映画は間違いなく十年に一度クラスの素晴らしくよく出来たちょうおもしろくてちょうさいこうなウルトラステキムービーだ。
先述の通り、おれはこの先の人生においてオールタイム・ベストとしてこの映画を挙げるだろう。


池袋グランドシネマサンシャインにて、吹き替え&4DXで鑑賞。
吹き替えは全く文句なし。武内駿輔が若くしてもうこの域に達していることにびびってびびってびびり倒した。
所謂「声優初挑戦系」のドリック役南沙良さんが、まあ~さすがにこのメンツの中に放りこまれたら、ねえ?って感じではあるんだが、決して棒読みではなかったし、なんかたどたどしい感じがドリックの雰囲気には似合ってたとおもう。ユーチューバーも言われなきゃ分かんねえくらいで普通に良かったし、おれはちょこっとケビンズイングリッシュルーム見たことがあったから。

4DXは人生初体験だったがなかなかおもしろかった。とはいえ2時間半ガキョガキョと動く椅子に揺れられるのは普通にしんどい。普通ので見りゃよかったなあ!でも最後の方で水しぶきをガンガンぶっかけられるのはそれはそれでいい体験だった。
一つだけ文句を言わせてもらうと、矢や弾丸が掠める表現として空気圧をブピュ♡ブピュ♡と首に吹き付けられるというものがあった。おれはASMRとかで耳に息を吹きかけられたりするのが本当に大っ嫌いで、性的興奮を覚えるどころではなくキレるくらい嫌なので、空気圧まじでしんどかった。
パーカーのフードをかぶって首を防御することで事なきを得たので参考にしてみてくれ。

それでは「ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り」の感想を終わる。スーパーおもしろい映画なのでスーパーマリオがはじまらないうちにさっさと見に行くがいい。




おまけコーナー 「シン・仮面ライダー」ちょこっと感想

おまけ的に記す。
まずおれは「シン・仮面ライダー」については「賛」の側の人間であるが、同時に「もうちっとこう、なんかならんかったんか?」と思う派でもある。

まず映画全体のテンションの上がりどころであるが、これは端的に言えば冒頭、第一話「怪奇蜘蛛男」パート、もっと言えば変身した仮面ライダーが容赦なく戦闘員を惨殺していく、凄惨たる暴力シーンこそがMAXであり、そこから先はこのシーンでブチ上がったテンションの余熱がジワジワと燻り続けた、と言ってしまっていい。
キメキメのアングルがザクザクと切り替わるカッティングがもたらす凄まじいスピード感!

この2分49秒こそがおれの見たかった「仮面ライダー」であり、残りの2時間は・・・残念ながらその余波であったと言わざるをえない。

特にラストのチョウオーグ(0号とは呼びたくないので)と仮面ライダーの泥仕合は、確かに森山未來自ら演じたというチョウオーグの華麗な立ち居振る舞いはじつに良かったが、1号2号が「かっこいい」とはお世辞にも言えなかった。

とはいえ庵野秀明がアニメーションで培った手法を実写に持ち込んだ映像のおもしろさ、アクションのかっこよさが見えるシーンはいくつもあり、ハチオーグ戦のアップデートされたハニメーションといえる加速合戦とか、1号と2号のドラゴンボール的な戦闘もおれは面白く見た。いわんやクモオーグとの戦い、ライダーキックもである。

しかし、それらが冒頭2分49秒を超えたか?と言われれば否なのである。
それはドラマツルギーの問題ではなくて、こちらの心を奪う力強い「画」の欠如である。
もっと言えば庵野秀明という人はドラマ性の人ではなくて、バチクソに決まった超強い「画面」が作れるのが強みの人でしょう。
おれは「エヴァンゲリオン」は「かっこいいロボットアニメ」だからハマったのだ、ということは以前のシンエヴァ感想でも書いたかもしれない。
お話のいい悪いは置いといて、おれはさ~~そういうのがさ~~見たかったんだよね~~~。
でもまあそれが全く無かったのか?というとそんなわけでもないのがおれが「シン・仮面ライダー」に抱いているジレンマなのだった。

ま、なんかそういう感じです。ほんとうにおわり。

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