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日記と幽霊船について

始めまして。
19歳を記念して日記を書き始めました。

19歳、19歳って本当に微妙な年齢でして。晴れて成人の区切りとなった選挙権も与えられちゃう大人の幕開け18歳の後。そして酒やたばこ、賭け事が合法になる子供の幕引き20歳の前。その間にあるどっちつかずのモラトリアム人間の19歳。何?お前。

19歳は本当に何もない。同じ素数仲間の17歳を見習ってほしい。「花の」でおなじみ17歳。高校生活のど真ん中、来年に控える受験の不安に押し出され、ここが人生の真っ盛りと信じて疑えない閃光のようにまばゆい結晶。対してお前はなんだ19歳。大学生のスカスカ海綿脳みそが生み出す糖度が小さい蜂蜜みたいな期間がなぜ存在しているんですか?大成した偉人の人生年表の19歳項目に何か書かれたことはきっと一度もないはずだ。

だから、日記をつけたい。このままだと本当に「特に何かあったわけじゃないけど少し嫌なにおいがして近寄りがたい」時間を過ごしてしまう気がする。19歳が本当に単なる19歳になってしまう。何とかして意味のあるものとして昇華するのだ。日常を観察し、書き記し、積み重ねたら、きっと、複雑に織りあげられた深みのある芳醇な香りへと、なる、はず

ないだろ。ふざけないでほしい。自惚れるな。私は過去に何度か日記を書いてみて三日坊主でやめてきたが、その時の内容を数日後の私が読み返したらかな~りえぐくて苦虫をかみつぶしたような気分になったことが度々ある。それと同じだ。加えて今回は人の目に触れるとこに放流することになるので、より最悪な一般となっていて。何?何なの?

日記は書くべきものではない。形の持たない自分の気持ち悪さを、そのままにしておけばいいのにわざわざ指でなぞって分析し、ひとつの彫刻に仕立て上げ鑑賞できるようにするものだ。悪趣味この上ない。

その上で性懲りも無く私は日記を書こうとするのだから目も当てられない。被虐体質だから、デジタルタトゥーをオシャレだと勘違いしているから、とかいう性癖があるわけでもない。じゃあ何が私を突き動かしているのか。

分からない。先程この日記は19歳に意味を持たせるためだと嘯いたが、それは嘘である。事実私はまだ18歳であるし、日常を必要以上に考察するのは悪い思想を生みかねない。ただ、何となくその時頭に浮かんだことを何となくの雰囲気で書き連ねただけである。

私の考えというものは、いつも私を置いていってしまう。結論を決めずその場その場で継いで剥いでを繰り返すうちに、私の預かり知らない答えを生み出している。「あれ、これなんだか違うぞ」と思い出した時にはもう遅い。軌道修正しようにも進み出した船は止まらない。主人の乗らぬ船は無人のまま海原へ繰り出されしまった。

その無人の船こそがこの日記になる。勝手に出港した船は、まるで実存と意味があるかのように醸しながらネットの海を航海してゆく。その様子はさながら幽霊船のようだ。

だから本当にこの日記に意味はないし理由もない。気をつけてほしい。もしこの日記を読んで何かしら思うことがあっても、それは幽霊が見せた幻術である可能性が高い。そういう時は一歩引いて「何こいつオモロ」とだけ思う方が身のためである。


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