クソデカ感情をまとめる試み(ネタバレ有)

自粛期間もだいぶん過ぎてきた中、ここ最近本当に就活が手に付かない。いやダメなんだけど。ES書けやと頭では言っているのに、素晴らしい本やら映画やらアニメとの出会いがある。Netflixヤバイ。トイレと食事以外パソコンに釘付けになってまう。

というわけで、2日間で『BANANA FISH』を一気見するという荒業を成し遂げた。どういうわけだ。吉田秋生原作、完結から24年の歳月を経てついにアニメ化。その噂も、原作自体も前から知っていた。なんでもっと早く観なかったんや

原作未読のため、違いを挙げてモヤったり褒めたりは出来ない。けれどとにかく、これはものすごい作品だなと思った。個人的にはまどマギ以来の傑作アニメだと思う。

序盤のキレのいいテンポ、スタイリッシュな雰囲気、そして勿論アッシュの魅力にとりつかれて一気に引き込まれ、もう回を重ねるごとに「面白い」とか「尊い」とかいう一言では片付けられないクソデカ感情が大波のように押し寄せ、何度も目頭が熱くなった。終盤はもうクソデカ感情がマッシブエクストリームトランスフォームして叫ぶことしかできなかった。父上ごめん。すやすや寝てんのに。

そして無事に観終わった今、最終形態と化したクソデカ感情をなんとか昇華すべくこれを書いている。勢いに任せているから読みにくいところもあるかもしれない。

あらすじとかはいろんなところに転がってるので、調べてください。一応この文章やんわりネタバレを含みますので、注意してね!

私のクソデカ感情ポイントは大きく分けて4つ。順番に話していきます。

ひとつめ。本作には様々な形の「執着」が登場する。カリスマ性があり、危うい魅力を放つアッシュは勿論多くの人に執着される。敵味方関係なくだ。(守りたい、助けたいという気持ちも執着だと思う) わかりやすいところだとオーサーか。彼はアッシュへのコンプレックスから目的を見失い、自ら不利な状況にはまってしまう。そして何と言ってもラスボス・ゴルツィネの執着はもう拗れに拗れて訳が分からん。激しい性的衝動、情愛、憎悪、蔑みが渾然一体となっている。彼もまた、視聴者並みのクソデカ感情に苛まれるのだ。殺そうと思えばいつだって出来るのに、複雑すぎる執着心がそれを阻む。(ちなみに声優はかの石塚運昇さん。これが遺作のひとつだと思う。凄まじく悪役っぽくこの上ないハマりっぷりである)

アッシュはそんな大人のキモい執着にとことん抗うが、全てから逃れているわけではない。仲間を守ることにかけては、激しい執着を見せる。こと英二のためならなんだってするくらい。それが彼の第一の魅力であり、最大の弱さだ。

チャイニーズマフィア一族の末弟・月龍もまた、英二に執着する。全く別のアプローチからだ。「アッシュはなぜあんな奴を」という気持ちから彼を狙うようになる。でも執着すればするほど、彼は追い込まれていく。

英二をアメリカに連れてきた伊部さんだって執着してる。アスリートとして、人間としての彼の魅力に引き込まれ、励まそうとしたり、まっとうな世界に戻そうとしたり。結局巻き込まれてしまうのは、彼自身の優しさのせいなのだが。

そして英二はアッシュと共に生きることに強い執着を抱く。平和な暮らしを続けるはずだったのに大きな戦いに巻き込まれ、傷を負ってもなお。

作中で唯一、何にも執着を見せなかったキャラクターといえばブランカだろうか。しかし彼も、終盤で初めて「私情」を盾に動く。

執着は人を突き動かす。それが人を強くすることもあるし、弱くすることもある。様々な種類の執着が蠢く中で、アッシュのそれはひときわ燦然と輝く

執着がゲシュタルト崩壊してきたな、、

そしてもうひとつ暗く横たわるテーマが、「美しく生まれつくことは時に不幸である」というものだ。

「美しくなりたい」と思う人は星の数ほどいよう。無論私も多分にもれない。アッシュの鋭利な美貌に何度ハッとさせられたことか。本当に、神様が彫り出したような人って感じなのだ。特に横顔がものすごく美しいので見てくれ…少年特有の危うい雰囲気は、誰も彼をも魅了する。

裕福な家庭に育っていれば、すくすくと輝かしい人生を送れたのかな。けれど彼は、男娼として生きることを強要された。美しいがゆえに幼い頃から何度も搾取され、傷つけられ、なぶりものにされた。自分自身で何度その顔を憎んだだろうと思うとやりきれない。そして自分を守るために強くなり、賢くなったのに、才能を持ち合わせなかった者はアッシュを羨んで嫉妬する。同時に自分より力のある者からは蔑まれ、美しさを含めた「有用性」のみに価値を見出される。全てを持っているがゆえに、全てを奪われる。

辛すぎんか

月龍もそうだ。名は体を表すとはよく言ったもので、彼とアッシュはまさに月と太陽である。彼もまたその美しさと境遇ゆえに散々いたぶられ、そうやって生きていくしかなかった。その復讐の炎を、彼はひたすら燃やす。たまらなく孤独だろう。理解してくれる者など1人もいないと心を閉ざし、誰も信じることができない。愛するものなどいない。何度傷つけられても魂の高潔を貫き、守るべき者を見つけ、決して折れずに相手へ歯向かうアッシュは彼にとってどれだけ眩しかったんだ。自分は違う、生きるためならなんでもする。そう決めているはずなのに、彼は迷う。揺れる。「あんた、そんなに死にたいのか」というシンの台詞…

本作では性暴力のクソさ(本当に全て含めて、クソという表現しか浮かばなかった)が一貫して描写される。それは、体に傷を負わせるだけでなく人間としての尊厳を踏みにじる行為だ。アッシュが凌辱されて戻ってきたとき、同じ経験をしたジェシカがそれを察して声をかけるシーン。「立ち直るのに半年かかってたら、俺はとっくに死んでる」という台詞が突き刺さる。この救いようのない世界において、見た目の美しさは呪いでしかない。生まれながらに不幸な運命を背負わされている。

日々「どうしてもっと美しく生まれなかったんだ」と嘆く人。「どうしてこんなに美しく生まれてしまったんだ」と嘆く人。その苦しみの大きさに、どれほどの差があるのだろうか?

なっげえな。

タイトルには書けなかったけど、人種問題も作品の大きなテーマだ。特に中国人のキャラクターはしばし、仲間を守りたいという気持ちと、自分の民族を守りたいという気持ちで揺れる。安全に生きるために築き上げてきた街を、文化を、私情で見捨てていいのか?その葛藤を、月龍は実に巧みに利用する。ブランカにも言われてたけどお前ほんとそういうとこやぞ

アッシュは人種関係なく、様々な少年を束ねる。団員も、彼が白人だから崇拝しているんじゃない。けれど彼らに加勢した2組は、「人種」というカテゴリーで集まっている。がゆえに、反駁してしまう。難しい。2人のボスも対照的だ。いっときの感情に流されず常に冷静なケインと、団員に慕われるがゆえに板挟みになって苦しむシン。このあたりの描写が細やかで色々ぶっ刺さる。

そして最後は、主役2人の「魂の高潔さ」にもう情緒が死んだ。いや本作に出てくる人たちはみんなクソデカ感情オンパレードなんだけど。おちゃらけたショーターは戦闘となると実に頭の回転が早い。けれど、さっき話したみたいに「中国人」という出自ゆえ大きく苦しむことになる。次世代のリーダーにふさわしい能力を備えたシンは、まだまだ感情の統制が未熟。それでもいろんな葛藤を乗り越えて、アッシュについていくことを決める。(この辺の成長過程が胸熱すぎる) プロの殺し屋ブランカは、一見感情が全て凪いでいる人のようだ。与えられた任務を忠実にこなす。でも、実は師匠として弟子の幸せを一心に願っている。マックスはくたびれたおっさんで、ポンコツだし家族には頭が上がらない。けど、自分の持てる全てをかけて巨大な闇に挑む。父として、夫としての顔を持ちながら、決してジャーナリストの矜持を失わない。かっこいい…

すでにすんごく長いな もうここまで素敵な人たちがいっぱいだともうことあるごとに「ンア〜(;;)」「バア〜〜(;;)」としか言えなくなってくる。

本題に入れ!!!まず、アッシュ。彼の何が一番かっこいいって、そりゃ容姿や頭脳や強さももちろんなんだけど、何者にも絶対に屈しないってことなのよ。どんなに傷ついても、恥辱にまみれても、どこまでも自由を求め続ける。「俺は死を恐れたことがない。だが死にたいと思ったこともない」というセリフ、アカンやん。こんだけ壮絶な人生を送ってきたのなら、感情の起伏を失った初期の栗花落カナヲみたいになってもおかしくない。さっさと死にたいと思っていても。けれどそうじゃない。アッシュはもがいてもがいて、何度でも這い上がる。そしてむやみやたらに周囲を突っぱねたりしない。孤高の存在だけど、1人ではない。

それでもやっぱり、彼は10代の少年で。情緒はギリギリのところで保たれている。彼は何度も自問する。「自分は生きていていいのか」「これだけの人を殺して何が自由だ」誰にも気づかれないように、ひっそりと泣いている。それを真正面から包み込もうとするのが英二だ。銃もまともに握れない、戦闘の足を引っ張ってしまう足手まといだったはず。けれど、その大きな瞳でまっすぐにアッシュを全肯定できる人なんて、彼しかいない。そこに一切の理屈はない。無条件で他者を肯定できてしまう純粋さこそ、英二が持つ最大の強さであり、アッシュが心の奥底で渇望していたものなんだと思う。平和な世界に生きていようとすればいくらでも出来たのに、何度でも逃げるタイミングはあったのに、英二は必ずアッシュの側に舞い戻ってしまう。ついには銃すら握る。彼にとって銃、ひいてはアッシュの生きる世界は非現実そのものだった。けれど捕らえられたアッシュを助けるためなら、己を顧みずその世界に身を投じてしまう。そりゃアッシュにとっては気が気でならない。汚れた心を浄めてくれるような存在の英二が汚され、消える可能性なんて考えただけで狂いそうだろう。切ねえ〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!(フォントサイズ140)

 同じ世界に生きていないからこそ、英二はアッシュの存在を丸ごと抱きしめられる。唯一無二の存在たり得る。けれど、2つの世界は交わらない。「俺は、お前に見ていられたくないんだ!」という目的語ブチ飛ばしの名台詞、アッシュの辛さがよくわかる一言だ。しかも、ブランカの言葉!ありゃあ刺さる。なんせそれはある意味真実だからだ。「汚い自分を浄化するため、孤独を埋めるために英二を利用しているんじゃないのか?それはあまりに利己的ではないか?」という問いは、アッシュの中にもずっとあった。それをブランカは、鋭い言葉で見事に抉り出した。師匠すげえ。

視聴者目線でその問いに答えるなら、「英二はそんなこと屁のカッパなのでガンガン利用してけ」となる。実際そうなんだ。彼は「こいつ俺を利用しやがって」なんて思うタマではない。「そうやって苦しんでしまう君を暗闇から掬い上げるために、僕はいるんだ」と微笑む英二がほらその辺に見えるやん?(幻覚) でももしこれを直接ぶつけられてたら、本当にそう答えると思う。

でもアッシュはぶつけなかった。全てが終わっても英二に距離を取ってしまった。そこが彼の気高さであり繊細さで、気軽に「いやお前会いに行けばええやん」とは言えないんだよなあ。でもそこで会いに行けるくらい図太かったら…と思わずにはいられない。もしくは英二の治癒力がとんでもなくて、戦いの後秒殺で復帰してたら、とか。でもそれも全て、運命の歯車の一つなんだろうな。最後の最後で英二の大きさに気づけているだけ、救いはあるんだ。いや、アッシュ・リンクスは奥村英二と出会ってから、ずっと幸せだったんだよな。本人もそう言ってるし。何気ない会話に、一切を忘れて馬鹿笑いできる瞬間に、彼はこれ以上ないくらい満たされていた。

かくしてBANANA FISHは、私の中でものすごく大きな意味を持つ作品となった。いろんな人にとってそうだから、この作品は今でも伝説的な存在であり、アニメ化によって清新な解釈がなされ、新たな伝説を形作っていくんだろう。

けどまあ個人的にはハッピーエンド大好きマンなので、二次創作にどっぷり浸かってほのぼのギャグやら学パロやら2人の穏やかな日常を見まくりたいと思いま〜〜す!!!!!ありがとうpixiv!!!!私の生きる糧!!!!!!!!!!

おしまい


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