見出し画像

そこに家駒はいた

忘れられないLIVEがある。

2003年4月30日から5月4日までの5日間、紅磡體育館で開催された結成20周年を記念したコンサート「BEYOND超越BEYOND LIVE 2003」。
(その後、6月に3日間追加が出た)

そのLIVEのちょうど中日の2003年5月2日。
そこに確かに、家駒はいた。

2003年の4,5月はまだまだSARSが猛威を振るっていた香港。
他のアーティストが軒並みコンサートを中止する中、BEYOND LIVEはSARSの中、初めて開催された大型コンサートだった。

私は仕事を辞め、5日間全日程に参加する為、香港に飛んだ。

閑散とした関西空港。
乗客3名しかいないJALの機内。
静まり返った香港の繁華街。

「こんな静かな香港、二度と体験できないだろうな」なんて思いながら街中を歩いてた記憶がある。
まさか約20年後の香港が同じような姿になるなんて思いもせず。

両親に「今、香港に行くなら勘当だ!」と言われようが、私はBEYONDのことしか頭になかった。
今思うと、とてつもない心配をかけた、とんでもない親不孝な娘だな、とは思うけど、若い時でよかったなとも思う。
若気の至り・・とは違うかもしれないけど、今なら確実に行かない、行けないだろうから。

BEYONDがLIVEをやる。また3人一緒の姿が見れる。
それがもう、とにかく嬉しくて楽しみで仕方なかった。
1999年のやる気のない活動休止のLIVEを見て、ずっとモヤモヤしたものが残ってた私には、このLIVE開催の発表は死ぬほど嬉しかった。

初日はまさかのアリーナ最前列で、目の前でギターを弾く、楽しそうに嬉しそうに歌うPaulのかっこよさに卒倒しそうになりながら、迎えた3日目の5月2日。
ライブも後半に差し掛かり、世榮の超絶かっこいいドラムソロの後、これまた超絶盛り上がる曲、Paulと家強のむちゃくちゃ気合の入った「WOO....A 可否爭番一口氣!!」で始まる「我是憤怒」。

会場のボルテージもどんどん上がる中、アクシデントが起きた。
2回目のサビの部分の歌い出し「只想吞・・」のところで、すべての音がプツンッと切れた。
Paulの声も、ギターの音も、ベースの音も、なにもかも。
一瞬にして静まり返った会場で、ドラムの音だけがかすかに聞こえてて。

何が起こったのか一瞬みんなキョトンとしてたけど、すぐに観客が誰からともなく「Wo Wo Wo Wo ~」と歌い出し、声は届かなかったけど大声で歌っているであろうPaulの口に合わせてみんなが大合唱し、ワンフレーズ歌い終わり、びよんコールが沸き起こったところで電源が戻った。

そしてサビからもう一度やり直し。
その後の3人の力の入りよう、Paulの歌声の力強さ、観客の大合唱ったらもう、ほんとに最高に盛り上がった。
とにかく会場の一体感がすごく、曲が「我是憤怒」だったせいもあり、ほんとに地鳴りのような、あの紅磡體育館が揺れるぐらいの音量だった。
あの時の感覚は、未だに忘れずにずっと私の中に残ってる。

そして私はこの時思った。
「あ、家駒がいる」と。

盛り上がってる会場を見て、遊び心で電源を落とした家駒。
呆気に取られてるメンバーと観客を、いたずらっ子な顔で眺めていた家駒。
その後みんながひとつになって大合唱してる様子を、にこにこ満足気な顔で会場を見渡していた家駒。

そんな風に私は家駒の存在を感じた。

まぁ機材トラブルで電源が落ちただけ、の話なんだけど。

すべてを包みこむような優しい優しい家駒の微笑みが、私の脳裏には見えた。

あの日。
2003年5月2日。
紅磡體育館には、家駒がいた。

ほんとは5日間ずっといただろうけど。
ずっとみんなを見守っていただろうけど。
あの日は確実に家駒を感じた。

私にとって忘れられない、大切な大切な思い出のLIVE。

記事を書くにあたって、この時の音源を久々に聴いてみた。
そしたら今ちょっと色んな複雑な思いが入り乱れてて、涙が止まらなくなってしまった。


たまにふと、とてつもなく家駒に会いたくなる時がある。
今までは会いたくなったらいつでも会いに行けてたのに、コロナ以降、当然会いに行けてない。
そして会えないとなると余計に会いたくなる。辛い。

最後に家駒のお墓に行ったのは2015年9月。
お寺の方は2018年5月が最後だけど、もう6年も家駒に会ってない。

変わりゆく香港、地図を見てたらいつの間にか将軍澳から海を跨ぐ橋ができていて驚いたんだけど、家駒のお墓からあの橋は見えるのかな。
角度的に見えてなさそうだけど。

家駒のお墓は海が見渡せるとても見晴らしのいいところにある。
もう何十回と来たこの場所はとても心安らぐ、お墓なんだけど私にとって癒しの場所でもある。
壊れていく香港が見えない場所でよかったな。

家駒のことが恋しい誰もが思うであろうこと。
もし家駒が生きてたら・・・。

ふとした時にそんなことを考えることもあったけど。
今はもう、家駒が今の時代にいなくてよかったかも、なんて思ってしまう。
ひどいよね、そんなこと思うなんて。

でも今、家駒が香港に生きてたら、絶対に苦しんだと思うから。
香港はあまりにも変わってしまった。
苦しむ家駒を見たくないし、こんな香港を家駒には見せたくない。

私はもう二度と、家駒には会えないかもしれないな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?