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限界の記憶

バリーです。

私は中学生の頃、軟式テニス部に所属していたのですが、特に2年生以降は滅茶苦茶サボっていました。

このサボりは1回2回ではなく常習的で、平日の放課後はもちろん、土日の練習も部活に行く振りをしてサボりまくっていました。

私はスポーツが得意な訳ではなかったので、そもそも「テニス」というものが苦痛で、親にも中1の夏に相談しましたが、結局言いくるめられて無理に続けていました。

部活動そのものが苦痛だった訳ではないので、テニスをやらずにトレーニングのみを行う日は精力的に参加していました。(平日は色々な部活動がグラウンドを使うので、たまにそういう日がありました。)

平日はそんな感じでしたが、土日は普通にテニスをやることになります。

ある土曜の午後、部活動のために学校へ向かっていたのですが、不意に足が止まってしまいました。それまでの部活動による苦しみがフラッシュバックし、どうしても学校の方向へは歩を進めることができなくなったので、近所の公園へ行き先を変えました。今まで耐えてきたものが限界を迎えていました。
その日は罪悪感もあって3時間くらい公園でトレーニングをした後、家に帰りました。

一度糸が切れてしまうと元に戻ることは無く、その後もほぼ全ての部活動をサボりました。
サボり方は多岐に渡り、マンションの管理人用トイレにこもってライトノベルを読む、古本屋に行って漫画を読む、ただただ5駅分くらい歩く等、部活動の数時間を別の方法で潰しました。

幽霊部員と化した私を心配した友人が家まで迎えに来てくれたこともありましたが、本当に部活動に行きたくなかった私は誘いを無視し、サボりを継続しました。親にも確実にバレていたと思いますが見過ごされ、中学3年の最終回だけ参加して、部を引退しました。
友人や親の気持ちを考えると申し訳無かったなと思うのですが、当時の私には他人の気持ちを慮る能力が不足していたため、自分の気持ちのみを優先して行動してしまいました。

このような原体験を見てみると、当時から「得意なことや好きなことだけをやりたい」「衝動や欲望に従って生きたい」という気質が芽生えていたことは間違いないでしょう。この気質は今の私にも通じるところがあり、最近は仕事が苦痛なので今日も会社をサボりたい一心です。

もちろん今日も出勤しますが、一度限界に達したことのある精神をもう一度限界へ向かわせることは大変です。社会のルールに沿った上で逃げることも視野に入れて、今年度も頑張ります。

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