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みんなで少しずつ間違う世界

先天的な障がいを持つ方や、
性同一性障がいを持つ方など、
マイノリティな特性を持つ人に対して、
説明しにくい違和感を持つことは、
自然なことなんだと思っています。

なんて言ったら、叩かれるのだろうか。

「自然なこと」というのは、
「それでいい」という意味ではなく、
文字通り、自然なんじゃないかという話です。

たとえば、自然の中で生きる生物たち。
自然のツバメは翼のカタチが少し違って飛べないだけで生きてはいけないだろうし、自然のタヌキは足が1本でも無ければ生きてはいけない。
自然のキツネが同性と交尾していたら、きっとうまく繁殖できない。

生きていけない、繁殖できない、
を、自然は許してくれません。
あたりまえのように淘汰してきます。

種の保存に有利な方を「優性」と決めつける、
というのは、多くの生物に備わっているの本能みたいなものかもしれません。

重度知的障がいを待ちの方と距離をとってしまうとか、同性間のセックスは見たくないとか、
そういう違和感みたいな感覚も、一部は本能で感じてしまうことなのかもしれません。

そのうえで、
そんな説明しにくい違和感や、
本能に抗おうとする人間が好きです。


「予防接種をすると身体や免疫力が弱くなるから、こどもに一律に予防接種をさせるのは反対だ」という主張があります。

10万人に1人だけ罹る病気のために、
全国民が弱くなるのは不合理で不経済だと。

正論かもしれませんが、僕はそうは思いません。

10万人に1人が、僕の子どもだと嫌だからです。
子どもが重い病気になる可能性が増えるより、
全国民が少しずつ弱くなる方がマシです。

誰か1人のために、みんなが弱くなるという、
自然からすると間違っている選択が、僕はわりと好きです。

本能的には違和感を感じながらも、
その感覚を抑え込んで、誰か1人を傷つけないようにする世界の方が好きです。


自然や本能が
同性を愛するのが間違いだと言うなら、
先天的な障がいを間違いだと言うなら、
稀な病気に罹る子を間違いだと言うなら、
みんなが少しずつ自然や本能に逆らって、
みんなが少しずつ間違っていた方がいい。

みんなで少しずつ弱くなっていって、
いつか自ら滅びゆくなんて、
いかにも人間らしいじゃないですか。

言わずもがな、人って愚かなんですよ。

でも、そこそこ優しいみたいです。

そんな人が、わりと好きってだけの話です。






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