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無いものねだり→在るものへ

​夏至 ケルトではLitha(リーザ)まさに太陽信仰のケルトではとても意味深いのが冬至と夏至
見えなくてもそれはある 光があるかどうか 見ようとしているかどうか ずっと光を当ててなかった 無いものを在るものにしようとしてきた人生だったけど在るって感じることにしたら自分を大切にするって意味が変わった

ずっと無いものを在るものにしようやって生きてきた(40年くらい)
それは在るのに無いことにしていただけだった
在る、と感じられたときに些細なことから感謝をするようになった(なれた?)感謝はするもんじゃなくて湧き上がってくるもんだ
自分をどう取り扱っているのかが社会での、相手との、扱われ方になるって感じた
どう在りたいのかってのがなくて、どんな風に見えているか、どう取り扱われているのかってことに翻弄されてしまって自分を見失っていることがある
相手に乗っ取られて、相手に自分を任せてしまったときになる
相手に自分の価値、自分の存在を預けてしまったときに自分から自分が居なくなってしまっている
自分の価値はまず自分で認めていることだった、と氣づいてまたやりなおし

長年やってきたクセはなかなか抜けないから何度も繰り返しては浸透させて体験で身体へ覚えさせていく

幼い頃からやってきたのは「無い」をどうにかすることだった
どうにかして愛がある、と感じたくて必死でやってきた
ところが愛はすでにあった 自分がないと想ってただけだった
時間も お金も そうだった
「無い」が常に前提にあって 駆り立てられて生きていた
「無い」ものをなんとかするために生きていたなんて!
「在る」ものを感じようとせずに、感じることが怖くて嫌で、、、「無い」ものを埋める旅をしていた(自作自演の)

母は私を愛してくれていない
私には価値がない
私は劣っている
家にはお金がない
環境に恵まれていない
子供が居ない
才能がない

悩みを自分で作っていた(でも悩みたかったのよ。で、今があるんだから後悔してない)

悪いほうにばかり目が行くのは人間だから仕方ないけど「在る」ことを認めてしまうと本当の世界を感じなければいけない

在ると感じるとすべてに感謝が湧く
呼吸できていること 静けさ 朝の太陽 鳥の声、、、
電車の中の人たち、味わえること、、、

自分を大切にする

自分を大切にするってそういうことだったんだな
誰とも比較せず 自分がどう在りたいのかを自分が聞いてあげる
自分の生きる路を自分で決める
こうであらねば、いい人でなければ、、、正義、清らか、罪悪感の反対側じゃなくて常に自分が自分の理解者であり味方であること

鎖骨


私が自分のボディパーツで好きなところは「鎖骨」
他にもあるけど
ほぼ自分の好きなパーツなんて皆無だったなぁ 嫌いなところばっかりだった
なのに今は自分の好きなところが多い
しかも年齢を重ねた自分の身体、、、いやだなぁ、って想うところもあるけど好きだなぁ、って想うところもある

年齢より若いねって言われたら嬉しいのはなぜだろう?
でもなんか年齢を重ねてきた自分こそがいいなぁ、ってようやく想えるようにもなったかも
手術痕も笑いじわもすべて愛おしい

美しさって年齢より若くみられることじゃなくて「美しい」って言葉すら使いたくない自分がいる
キレイじゃないといけないわけじゃないし、キレイだなぁって感じるのもいい
あぁ、なんかめちゃくつろげてる今。。。
すぐまた戻るんだけど(笑)
この感覚忘れたくない すごく楽だ 息が自然だし 身体が緩む

どうにかしなくていいんだな

もうどうにかするのをやめた
でもずーっとやってきたからにじみ出てしまう(笑)

どうにかしよう なんとかしなきゃ ってずーっとやってきた
そしてそれは自分の仕事となった
でも、はじめのうちは私がクライエントの問題を解決することが使命だと想っていたけどそれは不要だと学んだ14年だった
これはこうしたほうがいい、それはこうじゃないと、、、というのは本当に不要だった
ただ共にここに居て、感じ、味わえば勝手によくなっていった
でもなかなかそういう人、治療家、セラピストは居ない
人は無いものを在るものにしたがるし、無いと思い込んでるから(無いものにしてる)あった!つかんだ!って喜んでアドレナリン出して満足するループだ
ないものねだりゲーム(笑)
それもまた楽しめばいいんだけどね^^

これができたよ!って人に伝えたくなって、マウント(笑)
そんなことをやってたんだと恥ずかしくなるし、笑える
でもまたやっちゃうんだけどね なかなかクセは手強い

魅力はどこにあるの?
あなたが想う自分の魅力はどこ?
それってつくるもんじゃなくてここのあるんだよね
だから魅力的なろうとか 女性性開花させようなんて要らなくて、、、
自分が自分で在れればそれが魅力として波動が響く
そこに人が集まってきたりして愉しくなったりする

魅力って「こういう人」じゃなくてあなたそのもの
自分が嫌いって想っている所がじつは他人が想う魅力的な場所だったりすることって半世紀生きてきてまざまざと経験したの(笑)

そこに何らかの願いがあるってことね

自分がそうやって決めて生まれてきたんだと想う
だから後は氣づいていればいい
そのことに 



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