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[雑記] 読んでから見るか、見てから読むか。

私は紙媒体から情報を得るのが好きだ。
昔から読書が好きだったからだか、正直言うとネットから情報得るのは物足りなさを感じている。
見るは良いが、触覚的感覚が無いので、読むには手応えが無く疲れるのだ。

人が情報を得るには、目から「読む」か「見る」のが大半のウェイトを占めるのだが、「読む」と「見る」には表現上著しい隔たりがある。

ざっくり言えば、「見る」は「ざっと目を通すだけで、まともに読まない事」で、「読む」はやや幅が広く「興味を持ってちゃんと読み、文字に書かれている通りに理解をする」という一般的な範疇から、場合によっては他と比較したりしながら、深く読み込むまであると私は解している。

ただ、表現上「見る」と言うことが悪いわけではなく、速読術は「見る」ことで見た範囲を”絵”として把握し、絵を脳内変換・分析して理解するものであるように、見ることから理解する方法もあるからだ。

「読んでから見るか、見てから読むか」と題したのは、情報を得るにあたり”得られる内容からその状況を想像できるのか、得られる「絵」を想像から内容を紐解けるか”という、想像力(読解力)が自分にはどちらの方法が適しているかを知り、より吸収力を高めることが重要だからだ。

ざっと確認してみると、現代人は想像力が弱い(または欠落してる)という有識者の報告が21世紀に入って増えているような話も多い。
一説にはネット社会の浸透と教育の変化が”調べる”や”競争”という過程を著しく省いたためとするものもある。
この点、私は否定しない。

極論言えば私などが思春期には、男の子は戦隊アニメ等から、女の子は物語の主人公やアイドルから想像力を育んで理想像を描いていたと思う。
漫画やテレビも勧善懲悪、起承転結、1話完結と、想像力を育みやすい土壌があった。

その善し悪しは時代の潮流によって変わっているので個人的意見に留めるが、想像力(読解力)はどの時代でも普遍でなければ、今日という現実社会は形作られていないし、先の未来へ発展も歩留まりとなる。

ミニ四駆の世界でも、情報を得るのに動画派とチュートリアル派はいる。
情報の内容が正しいかは別として、どちらも大事な情報源であることには変わりはない。
その情報を分析し自らの知識に還元出来るかどうか、もっと言えば情報を自らに入力(読む、観る)するなかでリアルタイムに脳内で3次元投影出来るか、である。

想像力に必要不可欠な能力に「空間認識能力」というのがある。
簡単に説明すると、十字架形の正四角形の原図を見て、頭の中で正四角形に組み上がるまでの絵(動画)が想像できる等の、物の形や位置関係を紐つける能力だ。

これは統計学上、性別によっても能力差があり、例えば「地図が読めない(道案内が出来ない)」というのを聞いた事があると思う。
現代人はこの空間認識能力が低いため、先のように想像力が弱いとされる理由でもある。

例えば、ネットから写真をお借りしたものを加工してシチュエーションを一例説明すると、

Aさんが「コレをあっちに持っていっておいて。」と言う。
Aさんが本来求めているのは、棚上段の荷物をパレットごと降ろし、搬出のために車に載せやすい所定の場所へ運ぶ事である。俗に言う”気の利く人”ならば更に、車で搬送中に荷崩れしないようパッケージングしたり荷物に不具合がないか確認して作業終了を報告する。

しかし、空間認識能力の低い人は指示された荷物も分からなかったり、パレットから荷物を個別に降ろす手間かけたり、運ぶ場所が分かってなかったり、運んだ荷物に不具合があるかさえ気付かなかったり、最悪の場合、理解出来ずに何もしない事もある。

この記事を読んでる人の中には「そんなバカな話あるか」とか笑ってしまう人もいるだろうが、これが現実であり事実として存在する話なのである。

空間認識能力の大半は後天的に身に付く能力のため、普段の生活からも訓練して高めることはできる。その訓練方法は専門の方々に任せてココでは触れないが、この能力を高めてやると、写真1枚、発言者の一言等から多角的に認識するようになるため、本来見えていない物の裏側や言葉の意図を汲んで全体像が想像しやすくなる。

その上で、読む(チュートリアル派)のが得意か、見る(動画派)のが得意かを知ることで、造詣を深める事が出来るのである。

仕事でも役立つ事なので、是非調べてみて欲しい。

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