[雑感]武士は食わねど高楊枝

「武士は食わねど高楊枝」、この諺を知っていますか?
現代では本来の意味と違い”痩せ我慢”を指していますが、本当はもっと崇高な志を指しています。

武士は江戸の世において、今で言う公務員でした。私利私欲に走ることなく世のため、国家のためにと働いていました。
江戸時代後半になってくると、商人のほうが経済的に裕福だった時期もでてきます。

そんな時代でも為政者としての武士の倫理規範は、無私の奉仕、誠実な生き様を示したのです。
この言葉は、武士として、為政者として、憂いを表には出さず、国は安寧であると示し、気品高く生きていくべきであるという武士の高い倫理感と気概を表しています。

ミニ四駆は第3次ブームの安定期に入り、各企業も”公式ミニ四駆部”と銘打ち発展を促してくれています。

私自身、第1次ブーム初期に離れ第3次ブームで復帰したのですが、復帰して調べているうちにある事に気付きました。
このネット社会であっても、ミニ四駆の紹介や見た目からの解説はあっても、根幹となる基礎や専門的知識を説くものの情報量が圧倒的に少ない。
町のコースに出ても、「速い人は見せない」「一遍通りの事は教えても、大事な部分は部外秘」等とよく聞きました。私は当初その理由が分かりませんでした。

こうしてnoteを書き始めた理由は、自分が苦労した表に出てこない大事な部分を皆が知りえる環境を作る事により、全体の底上げと発展に少なからず寄与出来るであろうと思ったからです。

私が懇意にして頂いている方の中に「芋ようかん」氏がいます。
彼はキャリア長いフラットレーサーで、フラットの発展を願い、今ほどネットが普及してない時代から誰もが親しめるようにと自らの知識を有料で本にして世に出しました。
そして現在、その失われつつある知識(ロストレガシー)を遺し育む為にtwitter外に主活動場所を移し、その一方で著作物の無料公開に踏み切り、取り組んでいます。

やり方は人様々で、それに異を唱えるのは自由ですが、私が知り得る範囲でも彼に対し誹謗や嘲笑、当て付けなど”心ない発言”も多々見受けられました。
そんな中、過去に本を出してたり公開した経緯がある方々の発言も色々見て、総論は「本等を見る側は、考える事を止めて安直な目の前の利益(勝ち方)にしか興味無い(求めてない)」に落ち着いて、執筆も公開も止まってしまったような状況も散見されました。

この件をきっかけに、何故このネット社会で肝心な情報量が少ないのか、巷のレーサーさえも秘するのか、分かった気がします。
これでは苦労して得た知識を出したくもなくなりますし、志持って情報出そうと必死になっても寛容な環境や人がいない(少ない)のでは広がるはずもありません。

志持ち、無私の奉仕で臨む者も辛かったり苦労もあります。
これは走行会等を個々やってる方々も同じと思います。しかし、辛さや苦労を伏せ、皆の為になると正に「武士は食わねど高楊枝」の精神で維持と発展に取り組んでいます。

ミニ四駆レーサーの多数は紳士淑女だと私は思ってます。何故ならば、一部の心ない者に貶められた私を助け支えてくれたのもレーサーだからです。

そんな何かに取り組もうとする人達を、どうか暖かく迎え入れ、見守り、支えてあげて欲しいと思う。
そして、安直に答えだけ求めず、自ら考え、自らが何かに取り組む側になれる(困ったレーサーを助けられる)知識を身に付け、皆で相互に発展していける環境を作り、子供達や後進に引き継ぎ続けて欲しいと願って止みません。

ほんの少しでも、これを読む方の琴線に触れる事を祈って。

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