被災地ボランティアは偽善なのか
ネットで他者の偽善を批判する人へ
この記事は、「ネットニュースを見て、誰々は偽善者だと判断するのに躊躇しない人」や「対面して話すことなく、他人の性格の善し悪しを決めることが多い人」に向けて書きます。
自分はそんなことない!公平なジャッジが出来る!と思う人も是非。自戒の意味もあります。
改めまして、明けましておめでとうございます。
2020年も宜しくお願い申し上げます。
さて、今日は被災地におけるボランティアに関するニュースを見ていて感じたことを書きます。
個人が大衆に向けて行う社会奉仕
これは、社会的な善悪でいうと善に分類されます。
そしてそれは当然、その一個人が政治家でも、有名ミュージシャンでも同じことです。
では行う張本人が意識的に善を行い、それを公言している場合はどうでしょうか。
皆さんは、「俺はこんな良い事をしている」と主張しながら行われる善行を偽善と判断した経験がありませんか?
この判断には重要な思考プロセスが2つありますが、インターネットではそれが見落とされやすいです。
人が他者の偽善を指摘する情況は、以下のように2つに大別されます。但しここで偽善とは、外面(行動)と内面(性格)の乖離と考えて下さい。
1、 本人が気づいていないが、良からぬ結果を導く(可能性が高い)事をこちらが予期したとき
2、 本人が意図して、外面的に善を装って内在する悪意を隠そうとしているのをこちらが見抜いたとき
いずれにせよ結論から言うと、
本人の性格の熟知と行動の目的の理解
この2つが、必要不可欠な思考プロセスになります。
インターネットには情報が溢れていますが、あなたはどうやって行動と性格を区別していますか?
外面と内面は表裏一体です。
この表裏とは、性質が真逆であることを示すのではなく、メビウスの輪のように切っても切れない関係だということです。
そしてネットという情報の海から得られることだけでは、その区別は非常に困難です。
善人であるから、善行をするというのは間違いないですが、
それと同時に、善行をするから善人であるという側面がある事を忘れてはいけません。
内面は外面に影響するが、外面もまた内面に影響するということです。
本人の性格をよく知っているか?
行動の目的を本人からきちんと聞いて理解しているか?
この2点を自問して下さい。
幼稚な偽善批判を回避しやすくなります。
そして最後に改めて、
ネットで他者の偽善を批判する人へ
覚悟を持って批判する方々のことは尊敬します。
未来志向で生産的な話し合いができる事を願っています。
それではまた。