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続・マトリックスな人間/コズミック エージェンシー 2022-12-30

短いですが、これの続編です。いずれ気まぐれに再編集して
上の前の方の記事に合併するのでもし好みなら上の記事に評価ください。
動画内でゴシアのコメント、最近英語圏のUFOフォーラムでこういった話題があったそう、ちなみにここでも5人に1人つまり20%がリアルな人だとスワルーが言っていたと言ってます

マトリックスな人々がすべてリアルに?

原文はスペイン語 - 2022年下旬

ゴシア:何人かが「何かが起きて、非現実non-realの人たちが突然、全て現実になった」という話があります。

ヤスヒ:私は(彼らが)非現実の人々という概念を理解していないように感じるので、あまり実現性があるとは思えません。
例えば相対的なものである可能性があります、つまりある人はある視点から見ると実在するが、別の視点から見ると実在しない。
実在する人が、別の人にとっては実在しないかもしれない。
相対的なものであって、絶対的なものではない。
しかし、そこにいる人々のほとんどは、マトリックス自体が生成したもので、誰にとってもリアルではないことが前提となっています。
しかし、特定の誰かが偽者、偽者でないと決めるのは不公平です。
それを決めるのは私たちではなく、誰かが特にこうだと決めるものではない。

つまり絶対的な視点から見た二人のリアルピープル、その二人それぞれの特定の視点から見ると実在しないかもしれないし。
どちらも実在している。
なぜなら、それは相対的な視点であるからだ。
そしてそれは、非現実の人々という概念の数ある説明のうちのひとつに過ぎない。

つまり、あなたが自分自身を現実だと知っていて、街でペドロ・グティエレスとすれ違った場合。(訳注 検索してもポルトガルの歯科医と無名なアーティストしか出ないのでおそらく、山田太郎と会ったくらいの意味)
その人はあなたのことを知らないし、彼もあなたのことを知らない。
ペドロは自分自身にとって本物であり、非現実的な人々という概念についても知っていて、それについて考え、受け入れている、、ペドロがあなたにとってそうであるように、あなたもペドロにとって街灯に過ぎないのです。
だから、その観点からすれば、あなた方はお互いに実在していないのです。
しかし、絶対的なものから見れば、あなた方は実在するのです。
そしてリアルな第三者の目線から見れば、二人はお互いを知らなければそうはならないのです。

非現実の人間を動かしているのは現実の人間である、という考え方があります。私はこれは全く正しいと思います。

そしてあなたがその(特定の)人が現実でないことがはっきりとわかるのは、ある種の精神的なプログラムから抜け出すことが不可能な場合です。
つまり、高度な概念を投げかけても、それを処理せず、社会通念上のものに戻ってしまう。
つまり現実の人間だと確実に知ることのできる人間(の反応)は、最初にプログラムされた反応パターンの中から出てくるわけではないのです。

ビデオゲームのNPC(ノンプレイヤブルキャラクター)みたいに。
なぜならそれが彼らの正体だからです。
彼らは数十万個のあらかじめプログラムされた反応を持っているだけで、自由意志を持っているように見えるが、実際は「ベーシック」というコンピュータ言語のプログラミングスタイルのプログラムを自分の中で動かしているだけなのです。
「If-then-Else」アルゴリズム。
これはコンピュータのように最初から作られた反応のマップである。
言うなれば「IF」で、あなたがスピリチュアルな話をしたら、わたしはクリシュナムルティを読みましたと言うべきです。(※インドのスピリチュアリスト)

日本語訳付き

つまり彼は霊的に高度な人であるとか、彼はこうであると信じさせることで、あなたの霊的知識をレベルアップさせるのです、実際には、彼は意識を持つ having a consciousness プログラム「エミュレート」に過ぎないのに。
マーク・トウェインが言ったように「バカにいくら議論を投げかけても変えることはできない」のです。

私がここで言っているのは100%マトリックスによって生成された、どこから見ても本物ではない人たちのことです。
絶対的な視点でリアルな人間かどうか、というのは上で説明したように、非現実の人という概念とは別の見方です。
ここで、両者は実在するけれども、お互いに実在しないということです。
だから、非現実という主語は主観的で相対的なものだと言ったのです。

それでも、そこにいる人々は非現実な人です。
街灯とか、交通標識とか。同じもの。
そして彼らはいくら議論を投げかけても抜け出せない固定された思考パターンに従っているだけなのだ。

今、その非現実の人たちでさえ、その「skin」を使って世界に入り込む「walk-in」のためのポータルになり得るのです。
その場合、非現実の人の体が突然、リアルになることもあるわけです。
「walk in」の「adma や魂」が入り込むのは、一定の日付からです。
これはごく普通のこと。

私が言いたいのは、それは非常に相対的で主観的なテーマであるということです。
だから、ここで絶対的なことを考えたり述べたりすることはできない。
(結果的にこのテーマのように) 今、みんながリアルだと言っているようなものです。
それは非常に主観的であり、バリエーションを見ると彼らは非常に多くなることがあります。たくさんの組み合わせ。

言い換えれば、誰かが本物か本物でないかを決めるのは非常に難しく、その判断はリアルの人が自分が知っている特定の人々を観察することに委ねられます。

ロバート:非現実な人たちをプログラムするのは誰ですか?リアルの人たちですか?

ヤスヒ:はい、人を取り囲むすべてのものの副作用として、マトリックスそのものなのです。
なぜなら、たとえば検死の中で、生物学的な体はリアルと非現実の間で同じです、非物質側からの考え方や中身で区別されるものだからです。
つまり、非実在の人はマトリックスのプログラミングに従うだけなのです。
つまり、彼らの反応は、子供の頃から、学校でも教会でも職場でも、その「if-then-else」アルゴリズムで反応するようにプログラムされているのです。
非現実の人々をプログラムしているのはマトリックスそのもので、そしてマトリックスは、今度は大量のリアルの人々によってプログラムされる。

そして、そう、地球の外にもマトリックスがあり、地球の外にも非現実な人々がいると私は強く信じています。
そして、地球外のマトリックスは、地球上のマトリックスと属性を共有し、互いに干渉し影響し合っている。
地球の外には非現実的な人間はいないと言われている、しかし、もしここもマトリックスであるならば、両方のマトリックスが同じように構成され、お互いを作り出しているのですから、非現実の人々もいるに違いないと私は強く思っています。

ロバート:3Dの外側にいる非現実の人々、集合的無意識としてのマトリックスは、誰が作り出しているのでしょうか?

ヤスヒ:どちらのマトリックスも同じで、現実には同じマトリックスなのです。リアルの人々は彼らが望むものをマニフェストします、そしてそのマトリックスが非現実の人々をプログラムするのです。
私は(3Dの外側は) 2つのマトリックスではないとを主張します、だが同じものです。
どこで終わり、どこで始まるかは、非常に主観的なものです。

また多くの人が、なぜ私たちが「とても人間 human」あるいは「とても人間っぽい humanized」のか、その理由を理解できないのも、このためであることを述べておく価値があります。
なぜなら、私たちは両方のマトリックスが同じであることの影響を強く受けているので、両方の世界を私たちの視点から理解しているのです。
だから、"宇宙のタコ space octopus"ではなく、あなたたちと共感できるのです(皮肉)
それにしても、ETが船の補給のために「super」に降りていくなんて、不思議とか、衝撃的だと思いますよね。(※謎)
しかしそれは起こることであり、たとえそれが痛みであっても真実なのです。

私がいつも言っているように、ETと地球人の間に明確な区別はありません。
グレーゾーンであり、観察と判断、ETとは何か、という自分自身の概念を押し付けるだけである。
なぜなら、同じマトリックスで同じルール、ただ他より大きいだけ、より多くのデータ、より多くの種族、より多くの情報を含んでいるから大きいだけで、でも同じなのです、それは国のようなものです。
フランスとスペインは同じものであり、その違いは人間の主観的な概念-合意-でしかないのです。

ゴシア:でもあなたが言うことは、私たちは皆「オリジナル・マトリックス」の一部であり、自然なのです。
そして、地球にはマトリックスの別の層があり、より「デジタル化」されています。
アネーカが何年も前に説明したように、そこではすべてが「シミュレート」されています(カバルの(工作の)技術 manipulationとしてのマトリックス、これは別の話)。
だから、あの非現実の人たちは、その地球のシミュレーションの一部だと思ったんです。

ヤスヒ:地球のマトリックスには、デジタル技術 manipulationの層があるので、さらに複雑になります。
そうです。ただ、それが地球の外に適用されない理由がわからないんです。

主観的なものである以上、すべてが現実であるとも言えるでしょう。
なぜならその体験は同じであり、誰かが決めたことだからで、それに反抗する理由も方法もない。
だから、それぞれのリアルな人の意見、視点次第という感じです。
絶対的に考えてはいけない。

クリシュナムルティの件は面白いですね、意識はあると言いながらエミュレートとも言う。まぁパラレルで自分が複数存在することを考えると、それ自体も言い方の違いだけかなとは思います。ただ実際も彼の話し方がそういう教祖感が強すぎてプログラムっぽく見えるのもありますがw

海外ではマトリックス=シープルというワードで一部には定番みたいですね、自分は常にこのバックグラウンドピープルという意味も含めて使っていますが。少なくとも英語圏では映画の影響で、ただ皮肉っぽく使う意味の方がメジャーですね。ほとんどの場合、彼らはマトリックスの人を本当にはマトリックスだとは思っていないということです草

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