子が生まれてからの生活の変化で音に対しての考え方が変わった。
目を閉じれば大抵どこでも寝れるガサツな耳の両親に対して、子はどんな小さな音でも拾って反応する繊細な耳の持ち主だった。
聴きたいときに大音量でラジオや音楽を聴いて、娯楽を楽しんでいたが、家ではほぼ聴けなくなり、娯楽は次第に、出勤時の楽しみに変わっていた。
どうしても家で聴きたいときは、スマートフォンのスピーカーの音量調節のボタンを最小の音量にして、そこから手動で音量をさらに半分にして、耳に近づけて聴いている。
家の中での移動は、床の軋む音や、扉の開閉の音、電気を付けるときの音に気を付けている。
帰宅時に子が寝ているか起きているのか分からないので、帰宅時は玄関の扉を開ける音や、閉じたときドアノブの”ちょぼ”が音を出さないように手で押さえて家に入っている。
家を移動する時は猫同様に泥棒みたいに移動している。
飼っている猫の移動する音でさえ、「辞めてくれ」と思っている。
猫以外はみんな音に繊細になった。
そんな感じで、できるだけ音を立てない生活をするようになった。

そんな中昨日、町の花火大会があり、ありがたいことに我が家から花火がばっちり見える。
それもとても近くで。
去年は会社の人とビールサーバーを酒屋で借りて、ビールを飲みながらBBQをしたが今年はそんな浮かれた事はしなかった。
家の近くでは若者が納涼という名目の熱気で溢れかえっていた。
その熱気でさえ愛しく思えるほど生活は変わっていた。

花火が始まると、私も妻も猫もそれぞれの楽しみ方をした。
私はベランダでお酒を飲みながら楽しみ、妻はアイスを食べながら楽しみ、猫は大きな音に戸惑いながら家中を走り回っていた。
そんな爆音を鳴らす、花火の中、子を寝かしつける時間になり、寝かしつけようとしたが、寝るワケはなかった。

結局、花火が終わるまで寝たり寝なかったりだった。

何が言いたいかと言うと、
人それぞれの立場に沿った生き方を選び、流動する大きな流れには逆らえないと言うこと。
偉そうなことを言ったが、今後も花火は楽しみだ。


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