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Shuhei Story: Reapra創業者の歩み

2014年9月、REAPRA.PTE.LTD (シンガポール法人)が創業者 諸藤周平によって設立されるまでに一体どのような道を辿ってきたのか。今回はReapra物語がどう始まったのかを皆さんにお伝えしようと思います。

※こちらはREAPRA.PTE.LTDのホームページに掲載されているものを翻訳し、再編集したものです。(LINK)

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Episode One : 「独自の「成功」の定義」

諸藤周平(以下 諸藤)の人生は、大学卒業後、日本の平凡なサラリーマンになることを決められているかのようだった。しかし、彼は自分なりの「成功」のあり方を常に模索していた。幼少期から様々なビジネスモデルを研究することが好きだった諸藤は、大学時代に小さなビジネスを立ち上げ、自分の考えを試すようになった。この幼少期からの経験学習的なマインドセットと、平凡なサラリーマン人生を送りたくないという気持ちが、25歳で自分の会社を立ち上げるきっかけとなった。

Episode Two : 「有益なビジネス領域の特定」

医療業界への参入は難しいと言われていた上に、諸藤自身、医療業界での経験はなかったが、有望なビジネス領域であると判断し、日本の高齢化社会から生まれる問題解決にフォーカスを当てたビジネスを立ち上げた。主要な基本指標を丁寧に観察した結果、この分野は長期的に成長する可能性があると判断したのである。この判断の背景には、日本の高齢者の割合は確実に今後も増え続けるだけでなく、さらに注目すべきことに、この年代層が日本の資産のほとんどを保有しているという事実があった。老人ホームや高齢者施設のような伝統的なヘルスケア業界に参入するには多額の投資が必要になるが、諸藤の資源は非常に限られていた。そのため、限られた資源の中でも参入可能で、ビジネス領域の問題解決に携わることができるようなビジネスモデルを見つける必要があったのである。

Episode Three : 「最初の失敗を乗り越える」

諸藤はこの事業を始めるにあたり、友人や家族から少額の資金協力を求め、資金を調達した。そして、苦労して得た資金で利益の出るビジネスを構築しようと考えた。しかし、最初の挑戦は上手くはいかなかった。そのビジネスは、高齢者が自分に合った設備やケアを備えた宿泊施設を探すことを手伝うオンライン・エージェンシーだった。しかし、2000年に介護保険制度が導入されると、競争が激化して料金が下がり、採算が取れなくなってしまったのである。

日本の「失敗を許さない文化」において、この挑戦での失敗は苦しかった。しかし、諸藤はめげずに従来のヘルスケア事業者が抱えている問題点の調査を始めた。その結果、最大の問題点は「採用」にあることを突き止めた。そこで彼は、株式会社エス・エム・エス(以下、SMS)を設立し、病院や老人ホームとスタッフをつなぐオンラインの人材紹介ツールを始めた。このビジネスモデルは、開始から12ヶ月足らずで利益を上げることができたのである。

Episode Four : 「エコシステムを構築する」

成功を収めた後も、諸藤は単一製品の提供に留まることなく前進した。SMSは、オンラインリクルートツールで得た利益をもとに、他のB2B、B2Cの収益モデルに拡大することができた。現在では、高齢者医療・健康産業に関連するサービスを提供する企業、そこで働く人々、そして最終顧客である高齢者自身のニーズに応えるために、20以上のウェブサービスを運営している。これらのサービスには、業界の専門家から、高齢の親族を介護する人々へのヘルスケアアドバイスを提供するプラットフォームなどがサービス内容として含まれる。また、ケアワーカーやケアマネージャーのためのオンラインコミュニティーや、この業界で働く人のためのヘルスケア認定プラットフォーム、ヘルスケアトレーニングスクールのための教育入学紹介プラットフォームなども手掛けている。

日本に数多く存在する高齢者介護事業者の80%が独立した家族経営の会社で構成されていることから、SMSでは専用の情報管理システムを開発した。そのシステムは、現在では15,000以上の事業者に利用されているサービスとなっている。こういった様々なビジネスモデルが相互に連携していることは、SMSのビッグデータ機能を強化し、SMSがさらなるビジネスチャンスを特定し、成長を続ける礎になっている。収益性の高いビジネスのエコシステムを構築し、新たなビジネス機会を見極める能力を持つことは、今後50年、100年に渡って持続可能な企業を構築するための包括的な戦略である。

Episode Five : 「創業から5年でIPOを果たす」

その後、SMSはわずか5年でIPOを果たした。諸藤は、日本の起業家の中で最も早く、また最年少でIPOを果たした起業家の一人としての地位を確立した。SMSは、2008年に東京証券取引所のマザーズに上場し、時価総額は6,000万米ドルを超え、2011年には東証一部に昇格した。他のアジア諸国の人口が急速に高齢化していく中で、SMSは、日本が20年先行しているこの分野で、自国以外での事業拡大に有利な立場にある。IPOで調達した資金で、SMSは中国に進出し、高齢化が進む韓国や台湾にも進出した。

Episode Six : 「企業の持続可能性を担保するために経営を引き継ぐ」

SMSでの経営を10年経験した後、諸藤は、次のCEOに引き継ぐために身を引くべき時が来たと考えた。組織寿命について研究した結果、創業者が長期間に渡って経営している会社は業績が下がる傾向にあり、経営が創業者の意志を実現するための手段になってしまっていることが多いということに気づいた。50年、100年と続く組織を作るためには、社内で人材を育成し、次のCEOになれるようなキャリアパスを用意することが重要だと考えたのである。
現在諸藤は、高齢者向けヘルスケア分野で20以上のウェブサービスを13カ国で提供し、30以上の収益源を持っている株式会社エス・エム・エスの筆頭株主である。「会社の成功は一人の人間に委ねられるべきではない」という彼の哲学を証明するかのように、彼の退任後も、会社は毎年着実に収益を伸ばし、市場全体の価値も上昇し続けている。

Episode Seven : 「新たなミッションを追求する」

東南アジアの長期的な成長の見通しと市場の複雑さに惹かれ、諸藤は、東南アジアに拠点を移した。彼は市場の調査を始めると同時に、東南アジアでのビジネスの状況や起業家の行動を理解するために2014年にエンジェル投資も開始した。東南アジアには多くの未開発のビジネスチャンスがあることを知った。また、東南アジアの起業家たちの熱心さと適応力に感心した。そして、今後の最善の方法は、東南アジアで大規模なビジネスを構築することだと考えた。35歳のときに、諸藤はこの新しい使命に身を捧げる決心をした。そうして、持続可能なビジネスの構築に励む起業家たちに投資をするベンチャービルダー

Reapraが始まったのである。

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