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叶井俊太郎とタモリ倶楽部とこち亀

 部屋とYシャツと私
 とか
 セックスと嘘とビデオテープ
 とか
 東京タワー 〜オカンとボクと、時々、魔貫光殺砲!!
 とか、3つ並べるのは語感が良くて印象に残ります。
 今回のテーマは叶井俊太郎とタモリ倶楽部とこち亀

 中学生の頃、深夜番組を見るようになりました。といっても、ほとんど録画。夜中まで起きていられなかった。起きてたら親が早く寝ろって言いに来る可能性が大。
 中3になって夜中までやってる塾に行くようになり、そこからは夜更かしの始まり。リアルタイムでも見る。
 高校生になったら、授業中に寝るようになるとともに深夜ラジオにも手を伸ばしていく。帰宅後、いわゆるゴールデンタイムに仮眠し、0時に起床してテレビやラジオを見たり聞いたり録ったり。
 高校の頃は、面白いから見ていた。でも中学の時は違う。わざわざ夜中の番組見なくても娯楽はいくらでもあった。じゃあなんで見始めたかと言ったら、やっぱ、おっぱいが見たいからだ。そこから段々、視野が広くなり、人として成長し、人格形成されて、おっぱいが目的ではなくなった。(時を同じくしておっぱいも画面から消えていった)

 あるとき、ふとタモリ倶楽部を見た。タレントに囲まれた叶井俊太郎が主役だった。
 その日まで、理由は言語化できないのだが、タモリ倶楽部は食わず嫌いしていた。なぜだろう、見ようと思わなかった。
 その日は、なんとなく見始めて、そして食い入るように見てしまった。それから、タモリ倶楽部は毎週録画する番組の一つになった。

 ORICON NEWSで叶井俊太郎のTV出演情報を見ると14件しか無い。その生涯において、ほとんどテレビ出演はされなかったのだ。そしてその初回がタモリ倶楽部のようだ。ラテ欄?の記録が残っている

 月9のモデル!?叶井が教える「メガヒットムービー買付け法!!」ドラマのモデル!イケメン映画バイヤーが語るヒット映画を買い付ける法(映画配給会社アルバトロス)▽「空耳アワー」

 エログロ御用達の叶井氏が月9のモデルなはずがないが、全く興味がわかなかったドラマと違って、世の中にはこんな人もいるんだ、と感心しきりだった。

 「『アメリ』はエログロだと勘違いして買ったんです。そしたら同業者が『叶井が手を出すってことはエログロだ』って勘違いして手を引いたから安く買えた」

タモリ「確かにこれ見たらエログロっぽくも見えるよね〜笑」
キャッチャーが怖い映画
タモリ「これエビじゃなくてシャコだよね?」

 この放送を見て、世の中には私の知らない偉人・巨人・奇人が存在しているんだという事実を実感した。それは知識欲、生きる意欲に繋がった。

 この人誰なんだろう?な叶井氏が座組の中心にいて、面白おかしく進行していく。そして、30分経てば、さようなら。タモリは毎日顔見るけど、叶井俊太郎は今この場だけだ。頭の片隅に、そんな寂寥感を抱えつつ観る。

 それから20年。訃報を受けて、今の私は、当時の叶井俊太郎の年齢を超えたことに気づく。だからといって何もないけどさ。
 ご冥福をお祈りします。

 タモリ倶楽部のように、子どもの頃、食わず嫌いしていたのが「こち亀」だ。共通点は「長寿」ってことか。「=古い、前時代」なんていう過激思想は持ち合わせていなかったはずだが、興味をそそられなかった。

1985年38号の扉絵

 この絵は見覚えのある方も多いと思います。昔は、ジャンプコミックス(単行本)の巻末に、他のジャンプ連載作品の広告が掲載されていました。そこで、こち亀の宣伝用として長きに渡って使用されていたのがこの絵です。「連載☓☓☓回突破!両さんますますウンタラカンタラです!!」とキャプションされてました。
 当時、単行本は新刊のみならず古書店でも購入していたので、当然、個々の発行年はバラバラでした。それに応じて「連載☓☓☓回突破!」の表記が変わるので気にして見てはいました。
 ただ、そのイラストの中で…

中央右から2番めの男性

 星逃田というキャラクターに「こういうときしか出番がこない!」というセリフが当てられています。
 これも食わず嫌いの一因でした。内輪ネタ、楽屋オチ、仲間内だけに通用するギャグに見えて拒否反応がありました。今となっては、事典を作れるような登場人物の多さ、歴史の積み重ねもこち亀の魅力の一つだと感じますが、当時はね…。斜に構えてました。

 それをひっくり返して、全巻購入するまでにドハマりしたキッカケが…

いとこの家で読んだカタ屋の話

 いとこの家は電車乗り継いで3時間、子どもの足で徒歩30分。時の流れがゆったりしている子ども時代、イブン・バットゥータ的大旅行だった。10歳年上のいとこに遊んでもらえるのが楽しくて仕方がなかった。
 いとこの部屋に積み上がっている週刊少年ジャンプを読むのも楽しみの一つである。
 我が家のお小遣いでは毎週ジャンプを買い続けるのは難しかった。頼めば買ってもらえたかもしれないが、それならば単行本を買ってもらって収集したほうが良いと考える子どもだった。ジャンプを読むチャンスは理髪店が混んでたときの待ち時間だけ。いとこの家で読めるのは至福の時間だった。

 単行本を集めているマンガはネタバレしないように読まない。それ以外のマンガを読む。一話完結の「アウターゾーン」や「王様はロバ」なんかを好んで読んだ記憶がある。
 そこでたまたま読んだのがこち亀のカタ屋の話だ。
 衝撃的だった。すぐに古いジャンプを遡って読み漁った。

 ちょうどその頃から、新聞読んで時事ネタに興味持ち始めたり、大河ドラマや「21世紀こども人物館」という書籍の影響で歴史に興味持ち始めていた。そんな私が、学校では習わない近現代史を面白おかしく突きつけてきたこち亀にハマらないはずがなかった。
 遡って読むと、常にこういう話が載っているわけではないということがわかった。しかし、普通に面白いではないか。
 今まで一話も読んだことなかったのに、偶然カタ屋の話を目にしてドハマり…。人生どう転ぶかわからない。

 余談だが、そういうコペルニクス的転回を数年前にも経験した。
 友人にこう相談した。
 「てめえの顔を鏡で見てみろ!と言われるから黙っていたが、吉岡里帆が好きになれない。顔がタイプじゃないのかも」
 友人は僅か1分で全てを解決した。イッツタイム!Dr.高須!
 曰く、
 吉岡里帆は厳格な家庭で育てられた。それ故、本当は人前で肌を露出することに嫌悪感を抱いていたが、女優としてステップアップするために必要だと考え、グラビアの仕事を受けてきた。でも本当はグラビアが嫌だった。
 そのことを女優として大成した今、SNSで発信してプチ炎上した。すぐに撤回したが、きっと本音だろう。
 その、嫌々していたグラビアが、これだ

ワン・ツー・スリー

 友人がノータイムで見せてきた画像がこれだった。
 私の病気は全快し、むしろ吉岡里帆を好きになってしまった。「だからなんだ!?」と突っ込まれて終了する与太話のはずだったが、想定を超えた回答が帰ってきた。
 「嫌々らしい」は「いやらしい」に通じる…。哲学である。
 この画像はDr.のイチオシだけのことはある。原点にして頂点。結局、これを超えるグラビアは他に存在しなかった。

 さて、こち亀の話。
 カタ屋の話も原点にして頂点。自分の中の時間軸で原点ね。でも、最も感動させられたのは別の場面。

82巻の表紙

 京成関屋駅前、墨堤通りを歩く両さんと麗子。千住曙町は南千住の一角。
 ここは付近に東武線の牛田駅があり、私鉄to私鉄の乗り換え駅である。私鉄to私鉄って、やっぱ都会だよな。
 ここは、前述した年上のいとこの家に行く道中、乗り換えをする駅なのだ。当初、空いていた電車もここにつく頃には満員。空中に浮かぶ駅で乗り降りするのも、ここが初体験。
 この二駅は、駅舎は共有しておらず、ほんの数十メートル細い路地を歩く。人は多いが路地は狭い。田舎とは逆だ。
 路端の商店に立ち寄る。ボロい店だ。ショーケースの中に、当時の僕の顔より大きいメロンパンが一つ、裸で置かれていた。買ってもらって駅のホームで食べた。人生でこれを超えるメロンパンに出会っていない。道の駅夕張も海老名SAも太刀打ちできない思い出補正だ。

恐らくその商店はファミマになっている

 駅前にファミマがある方が絶対にいいはずだから、味気ないとかさみしいとかは思わない。

両さんが歩いていた場所

 変わらないようで少しは変わっている。
 アニメのこち亀では「変わらない町並みが妙にやさしいよ」と唄われていた。本当に変わらないのは人の思い出と残された作品だ。両さんの世界は、自分がワクワクしていたあの世界のような気がして、感動するのである。


 


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