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実はこれ洗脳のお歌#40


1年生になったら
1年生になったら
ともだち100人出来るかな?

100人で食べたいな♪
富士山の上でおにぎりを
パックン、パックン、パックンと


ってさ、ホントありゃあ要らない洗脳の歌だったよなぁと。
大人の今なら良くわかる。
そもそもなんで、1年生を特別扱いして、1年生になったらって未来にそれが発現するのをセットしなくちゃいけないんだ?今すぐだって良いだろう。
(でも100人も友達要らん。笑)

一年生って7歳児が富士の頂上は、
行けるけどなかなかにハードな遠足だぞ。そんなところで、引率の先生かなんか知らんが、プラス特別仲良いかどうかも知らん100人でおにぎり食べたからって、満足?楽しい?

自分、かつて戦後最低の出生率言われた年の生まれなので、都会の学校だけど1学年3クラスで、100ちょいくらいの人数しかいなかった。

とはいえ、一学年全ての同級生と仲良くともだちになりたいか?と言われたら、別にならなくて良いな。
あきらかに苦手もいれば、嫌いもいたし。オールマイティにウェルカム出来る性質じゃないのに、無理して100人の友達、ぜんぜん要らなかった。

この歌のおかげで、まだ幼かったわたしはすっかりだまされた。

そうか。ともだちがたくさん出来るのは良い事なんだ‼️
100人もの友達がいるのが、良い子の条件なんだ‼️  

と、無意識に刷り込まれてしまった。

そもそも蠍座の太陽持ってる自分なぞは、たくさんの人と関わるのが苦手。狭い範囲で深く付き合う方が性質に合ってる。広く浅く、100人もともだち持つのは、個性の死を意味するから考え無い方が良いくらいなのに。

あの歌のために、すっかりそんな自分を殺す様な真逆の歌に染まって、ともだちが少ない自分はダメなんだ。
と、今思えばとてもバカバカしい理由で自分をおとしめていた。

それはだいぶ大人の年齢になっても、
刷り込みだから長いこと盲信してた。

ところが。実際にめちゃくちゃ遊び仲間の多い友人宅に行った時、
彼女と家遊び〜で一緒にご飯作って
おしゃべりしようと料理を始めたら、まあ電話がかかる、かかる。
まだ携帯の無い時代だが、家電がひっきり無しに鳴る。
んで、ぜーんぶ彼女の呑み仲間からの電話で、今思うとあの子はパリピだったわね〜。
だからともだち100人、地でいく子だった。

もう料理もそっちのけで、次々かかる電話の相手と爆笑で話し始めるのを見て、電話の相手と遊びたいならわたしは帰るね。と電話で話す彼女にメモを見せて言った。

その日彼女から誘われて、彼女の家に行って地味な家呑みコースのはずが、もうコチラに気が無いなら無理に一緒にいる事は無いと思ったから。

だってすでに目の前に居る相手より、電話の向こうの都会のどこかを彷徨ってる相手の方が大切で楽しいなら、今を共有していないし、脳内の100人の友達のが大切なら、そっちを優先させれば良いと思うし。←わたしには全く悪気無いっす。

同時にこの彼女のあり様を見て、こんなにたくさん友達要らんわ。
って悟りました。笑

だって落ち着かないも〜ん、
あんなにひっきり無しに、たくさんの誰かといるより、言葉少なくても
一緒にいてゆっくり呼吸出来る少数の人と一緒の方がわたしは心地良い。

ともだち少ないけど何か?
生きるのに支障無いですが?

もうあんな馬鹿げた洗脳歌に騙されないよ〜だ。

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