昔の話を少し

俺は中学生の頃、部活動を退部して親を泣かせた経験がある。
決して、晴れやかな「引退」ではなかった。みじめで泥臭い「退部」だ。


元を辿れば俺の怠惰な姿勢が原因である。
「音MADで音程合わせをするための音感を身に付けたい」という理由で入部した吹奏楽部だったが、その当初の目的がある程度達成されてからは殆どモチベーションを失っていたと思う。
はじめこそ真面目に取り組んでいた朝練や基礎トレーニングも次第に目的意識が薄れ、楽譜ではなく時計ばかり見るようになっていった。


冬。
雪の積もった通学路を見て「滑ると良くないな」と呟く。
受験シーズンの最中、俺は徐々に追い詰められていた。

塾での点数競争。
低迷する成績。
受験が終わった後の部活への復帰。

思春期、とひとことに言ってしまえばそれまでなのだが、特にこの時はこういった複数のプレッシャーに襲われることが初めてだったから余計に考え込んでは追い詰められていたと思う。
特に部活において、「受験後の数か月で定期演奏会に間に合うような練習が出来るのか?」とずっと悩んでいた。


暫くして、俺は高校受験に落ちた。
幸いにも滑り止めの私立は合格したが、そもそも第一志望の公立校には落ちたし、私立も学費がバカみたいに高いのを知ってあまり手放しには喜べなかった。
通っていた塾の祝賀会にも参加しなかった。


こんな状態で部活の練習に打ち込めるはずもなく、ほどなくして俺は退部希望の相談を顧問に持ち掛けた。

顧問はその時忙しかったらしく、代わりに副顧問が相談を受けることとなった。
当時の悩みをつらつらと喋ったと思うが、その内容はあまり覚えていない。

そして、それを聞いた副顧問からは「今後お前が選択を迫られた際、『逃避』という選択肢が常に浮かぶ事を覚悟しておけ。」と言われて終わった。


自分の所属する部活では、卒業生の送り出しも兼ねて年度末に定期演奏会を開いていた。
その年の集大成といわんばかりのイベントで、何よりも気合が入り、何よりも皆が協力して楽しくやろう、という姿勢を見せていたと思う。
俺自身も、1,2年生の時は参加していたのでその盛大さはよく覚えている。

中学3年の時、その定期演奏会を欠席した。

当日の記憶は正直言ってあまり無い。
ただ漠然とした不安や申し訳なさだけが残っている。

演奏会の後、母とはあまり楽しい会話が出来なかった。悲しくて。
そんな中でも彼女は親としての振る舞いを見せていたように思う。その気遣いさえも俺には辛かった。


俺は母に内緒で、SNSをこっそり覗いた。
彼女にだって、口にしていないだけできっと何か思うことがあるだろうと。

そこには自分の息子がステージ上に居ない事への悲しみが書かれていた。
端的な文章だったが、彼女のやるせなさというか、後悔というか、とにかくそういったものを感じる内容だった。

息子のいないステージを見て、何を感じていたんだろうか。
そんな事を布団の中で考える内に、自分も自分で母への申し訳なさや自らの怠惰っぷりを感じて、悲しみなのか怒りなのか分からない気持ちが湧いてきたのを覚えている。
気付けば、顔をうずめていた布はグシャグシャに濡れていた。


最近、「事前練習もままならない中いきなり舞台上に立たされ、パフォーマンス(実際の内容はその時々で異なる物)を強制される夢」をよく見る。
ボンヤリと、しかし深い傷痕が心にある事を度々認識させられる。

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